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次代の守護神候補はストイックの塊。
中村航輔、リオへの道程で得た哲学。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2016/07/11 11:00

次代の守護神候補はストイックの塊。中村航輔、リオへの道程で得た哲学。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

中村は2ndステージ第1節終了時点でリーグ戦16試合に先発。会いたい人に羽生善治三冠を挙げるほどの将棋好きともいう。

右腕骨折に右膝半月板……負傷続きのアクシデント。

 中村はその年の夏、右腕を骨折するアクシデントに襲われていた。一度は復帰したものの、AFC・U-19選手権直前の10月に再び同じ箇所を骨折。UAEの地すらも踏むことが出来なかった。それでもU-20W杯に向けてリハビリをしていたが、中村不在の日本は準々決勝でイラクに敗れ、世界大会への出場権を掴みとれなかった。

 1年以上の歳月を掛けて、トップ昇格1年目となった'13年途中に戦線復帰したが、今度は右膝外側半月板を負傷。再び長期離脱を強いられた。

 本格復帰したのは'14年のことだった。この時点で19歳だった中村は再びU-19日本代表に選ばれ、今度こそミャンマーで開催されたAFC・U-19選手権に正GKとして出場した。しかし、準々決勝の北朝鮮戦では、1-1のPK戦の末に敗退。PK戦で中村は相手のキックを1本も止められないまま、敗戦の時を迎えた。

 U-17W杯まで順調に進んでいたはずのサッカー人生が、怪我を境に全く思うように行かなくなった。

 だが、狂いかけた歯車に対しても彼は下手に抗うことなく、真摯にサッカーに向き合った。

U-17W杯で衝撃を受けたブラジルと再び戦うために。

 そのベースになったのは、彼のストイックさと、U-17W杯での経験だった。この大会でU-17日本代表は、準々決勝に勝ち上がるまでは相手をポゼッションで圧倒し、常に試合を優位に運んでいった。だが、準々決勝の相手ブラジルは全く違った。

 圧倒的な個の能力に加え、ゴールに向かって来る迫力がこれまでの相手と全く違った。結果は2-3の敗戦。最少失点差だったが、当時の彼はこんなコメントを残している。

「正直、あの圧迫感は凄かった。ブラジルは(ピッチに)11人以上いるんじゃないかってくらいでした。一人一人の動き出し、パワー、シュートの質、迫力が凄まじくて、ゴールを守っていて感じたのは、本当の意味で『どこからでも狙われている』ということでした。もっと意識を変えないと、もう一度世界の舞台で彼らと真っ向から戦えないと思いますし、真剣勝負の世界大会の楽しさを経験したからこそ、もう一度ああいう舞台に立ちたいという気持ちが強くなりました」

【次ページ】 「細部にこだわっていかないと。年齢は関係ない」

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