スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
問題児の帰還と大乱闘の背景。
大リーグに今も流れるマチズモ。
posted2016/05/28 10:30
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
ダルビッシュ有の戦線復帰で、テキサス・レンジャーズの周辺がなにかと騒がしい。
少しさかのぼるが、5月13日には、「札つき」の異名まで与えられていた問題児マット・ブッシュ(レンジャーズ)が、プロ入り12年目で初めて大リーグの舞台を踏んだ。
ブッシュは2004年、18歳の年にドラフト1巡目の1位でパドレスと契約した。当時は遊撃手としての将来を買われていたのだが、13歳から飲酒を覚えたのがよくなかった。マイナーリーグでデビューする前に酒場の用心棒と乱闘して逮捕されたのがケチのつきはじめで、その後も不祥事と怪我が相次ぐ。'07年には投手に転向するものの、肘の故障でトミー・ジョン手術を受ける羽目になった。
とどめは2012年、友人の車を借りて飲酒運転していたときにバイクの老人をはね、逃亡を図って老人の頭を負傷させたことだ。老人は一命をとりとめたものの、ブッシュには懲役51カ月の実刑が言い渡された。
その後、刑期は短縮され、中間施設に移されてジャクソンヴィルのレストランで働いていたブッシュは、古い知り合いだったロイ・シルヴァー(レンジャーズ育成担当)と再会する。レストランの駐車場でブッシュの球を受けて驚いたシルヴァーは、まだ使えると判断して彼をチームに推薦した。'15年12月、ブッシュはレンジャーズと契約を結ぶ。
歓喜の発露にしては、あまりに挑発的な態度。
そんな経緯があって、ブッシュは30歳で大リーグ昇格を果たした。13日のデビュー戦はブルージェイズが相手だった。結果は1イニングを3者凡退。そして2日後の5月15日、彼は同じカードの7回表にふたたび救援のマウンドに立った。
これが混乱の幕開けだった。8回も続投したブッシュは、先頭打者ホゼ・バティスタに死球を与えた。それも初球。もちろん、遠因というか因縁がある。両チームがぶつかった2015年のALDS(ア・リーグのディヴィジョンシリーズ)第5戦で、バティスタは勝敗を決する本塁打を放ったのだ。打ったあとで、彼はバットを高々と放り投げた。歓喜の発露にしてはあまりにも挑発的な、ざまあ見やがれといわんばかりの態度だ。レンジャーズは、怨みを抱いてプレーオフの舞台から去った。