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復活の宮市亮が2度見せた涙の理由。
「ちょっとうるっとしちゃいました」
posted2016/05/20 10:40
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph by
AFLO
つぶらな瞳がみるみる間に潤んでいった。軽快に話していたはずが、言葉に詰まる。
大手地元紙のザンクトパウリ担当が忌憚のない調子で、それでも少しは気を使いながら「僕は眼鏡をかけているから見えたんだけど、1点目を取った後、君の目には涙が浮かんでいたよね」と尋ねた時だった。宮市亮は、そうなんだよねと言わんばかりに笑い、そして話し始めたが、それは涙声だった。
「エモーショナルなことだったんです。難しいシーズンを送ってきたから。でもチームのためになれて幸せ」
宮市よりはるかに大柄なそのドイツ人記者は微笑みを浮かべ、ねぎらうように肩を叩いた。
ブンデスリーガ2部の'15-'16最終戦、ザンクトパウリ対カイザースラウテルン。シーズン初先発した宮市は同点弾を含む2ゴール1アシストで、5-2の勝利に貢献した。長らく怪我に苦しめられてきた宮市が、ようやくスタートラインに立った日だった。
宮市は2010年末、18歳になった直後にアーセナルと契約し、19歳で日本代表に選出された。だが華々しい実績と注目、知名度とは裏腹に、そのプレーする姿が幻と言いたくなるほど、その後長い期間表舞台から遠ざかっていた。
4シーズンでのべ6チームに在籍する流浪生活。
2011年前半、つまり'10-'11シーズンの後半はアーセナルからのローンでオランダ・フェイエノールトに在籍。この時はデビュー戦でゴールするなどし、'11-'12シーズンはアーセナルに呼び戻されることになる。半年間のアーセナル滞在の後は、ボルトンへ再びローン。
'12-'13シーズンはアーセナルに戻ることなく、今度はウィガンへ1年間のローン移籍。この年の終盤に右足首靭帯を負傷し、'13年春には手術を受ける。欧州での4シーズン目となる'13-'14シーズンは1年を通してアーセナルに籍をおいたがプレー機会は少なく、年明けに今度はハムストリングを負傷。
次の年は、オランダのトゥエンテへ再びローンで出されたが、トップフォームは取り戻せないまま若手主体の二軍チームでの調整、プレーが続いた。