球道雑記BACK NUMBER
広島の“マエケン・ロス”を埋める男。
「いい人」横山弘樹が先発ローテへ!
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/02/29 12:00
2月25日、対DeNA戦で先発した練習試合での横山。同学年となるDeNA筒香嘉智との対戦を楽しんだ。
高校までは父親と二人三脚で頑張ってきた。
父親は警察官、母親は専業主婦で、姉がいる四人家族で育った。
「厳しくはなかったですけど、常に自分を正しい方向に向かせてくれる両親でした。叱られたことはもちろんありますけど、そういうときでも常に理にかなっているというか、必ず僕が悪いことをしたときしか叱らない親でした。常に子供のことを思ってくれていて、優しいだけじゃなく、ちゃんとした大人になってほしいという自分への愛情が感じ取れました」(横山)
野球が好きだった父はプロ野球選手になりたいという息子の夢を叶えるため、仕事の疲れも忘れて連日、練習に付き添った。
「父は本当に野球が好きで、自分のために野球のこともたくさん勉強してくれて本当に感謝しています。その辺のコーチよりも父の言うことを聞いていましたね(笑)。大学はこっちに来てしまいましたが、高校までは父と二人三脚って感じでしたから」(横山)
彼の頭にふと浮かぶ思い出は、肘を怪我したときに、仕事帰りだった父がすぐさま息子を車に乗せて病院をいくつもはしごしたこと。そうした愛情を受けてきた彼だからか、野球をしているときも、オフの時間でも、周囲の期待に応えようとする心優しい青年に育った。
「両親は僕の自慢です」彼はそう言うと、誇らしげに胸を張った。
チームを背負って投げる東明大貴投手が目標。
そんな彼が目標としている選手がいる。大学時代(桐蔭横浜大学)の2年先輩でもあるオリックスの東明大貴だ。
「東明さんこそ自分のためだけに野球をやっていない、チームを背負って投げているって、端から見ていて感じました。東明さんは大学の2つ先輩なんですけど、元々、エリートコースを歩んできたわけじゃなくて、無名の高校から大学に来て、とにかく練習を黙々とやっていた人で。ランニングもずっと手を抜かず同じペースで走ったり、凄く自分に厳しい人でしたし、それでいて他人には優しくて、悪い方向に行った仲間がいたら、必ずフォローして励まし合ったりしていた。
東明さんが試合で投げているときは僕がベンチに入っていなかったので、一緒にグラウンドに立つことはなかったんですが、人として大好きで、今でも尊敬していますし、自分もこういう選手になりたいなって今でも思っています」(横山)