球道雑記BACK NUMBER
ロッテに足りなかった和製大砲。
今季こそ「あと一本」はうまれるか?
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byToshiya Kondo
posted2016/01/23 10:30
後に“史上最大の下克上”と呼ばれた2010年シーズンに活躍した大松。この時の日本シリーズでの怪我が、後に大きく響くことになった。
千葉ロッテに和製大砲が育たない理由とは。
千葉ロッテにはもう何年も「和製大砲」と呼べる存在がいない。
もう何年も4番らしい4番が育っていない。
これはスカウティングの責任だろうか? 育成の責任だろうか? 腰を据えて若手を起用し続けられない歴代の一軍首脳陣の責任だろうか? それとも単純に選手個々のスキルが足りなかっただけなのだろうか?
おそらくそのどれもが正解で、どれもが不正解だろう。
スカウティングはチーム事情によるところが大きいし、トップが変わればチーム事情も変わる。ここでは多くを語らないがこの10年間、千葉ロッテはある意味、体制が変わりすぎた。腰を据えて事が行えないのは少なからずそれの影響はある。首脳陣の育成、および起用法についてもこの部分の影響が大きいだろう。誰の責任とかではないが、現体制を仕切る山室球団社長の手腕に期待する他ない。
和製大砲に最も近づいた男・大松尚逸の今。
昨年のシーズン中、ロッテ浦和球場で長い竿状のものをベンチ裏で振っている大松尚逸の姿を見かけた。もう何年も和製大砲が育っていないとは書いたが、唯一その存在を挙げるとするなら彼の存在を忘れるわけにはいかないだろう。
プロ11年間で通算本塁打数81本、'08年には24本塁打を放ち打線の中軸を担ったが、'10年の日本シリーズ第1戦で右足の肉離れを発症して以降、徐々に出場機会が減少し、昨年はわずか18試合の出場に終わった。
「体はどこも悪くないですよ。むしろ調子は良いくらい」
勝負の世界に生きる人間としては、穏やかすぎるくらいの表情を浮かべ、彼は現状についてそう答えた。
3年前、現在の千葉ロッテの指揮を執る伊東勤監督から「4番はお前に任せた」という言葉をもらいながら、まだその期待に応えきれていない。それは他の誰よりも本人が痛感していることだろう。年齢は今年で34歳。まだまだ老け込む年じゃない。彼の復活を期待してやまない。