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最も好調な男、清武弘嗣の代表観。
「監督の指示」と「自分の判断」の間。
posted2015/08/26 16:30
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
AFLO
もしも代表のピッチに立っていたら、どんなプレーや想いを表現していたのだろうか。そう思わせる選手がいた。
ロシアW杯にむけての第一歩となる6月16日のシンガポールとの試合で引き分けたからこそ、そんな思いは一層募る。あの一戦にむけた準備の中で好調を維持し、目を引くようなパフォーマンスを見せていた清武弘嗣のことだ。
6月1日、ヨーロッパのクラブに所属する日本代表の選手たちの多くは、国内組に先駆けて千葉県内で合宿に入った。Jリーグの中断期間は6月8日からだったが、6月11日にはイラクとのテストマッチと、6月16日にはロシアW杯の2次予選の初戦が控えていた。その2試合にむけ、所属チームでの活動がないヨーロッパ組の選手たちがコンディションを整える必要があったのだ。
走り込みなどのフィジカルトレーニングも多く、身体にかなりの負荷をかける練習が行なわれていた。季節は初夏にさしかかったところだったが、日本はヨーロッパよりもはるかに湿度が高く、少し動けば汗が噴き出てくる。そんな状況でも清武の動きにはキレがあり、ミニゲームとなれば難しい体勢からのシュートも決めていた。調子が良いのは誰が見てもわかる状態だった。
「疲労はありますけど、気持ちの良い疲労ッス。ドイツではなかなかこういう練習はしないから、キレも出るし、走れるようにもなる。キツいけど、良いトレーニングが出来ています」
昨季はチームにとっても個人にとっても最高の終わり方。
直前のシーズン終盤戦で、所属するハノーファーは残留争いの渦中に監督が解任される非常事態に陥っていた。就任したばかりのフロンツェック監督との面談で、どのポジションでプレーしたいのか問われた清武は、トップ下で起用して欲しいと伝えた。ゴールに近いポジションで得点を決め、ハノーファーを自分の手で残留に導きたいという強い想いがあった。
ニュルンベルク時代には、開幕節から全ての試合に出場していたものの、残留をかけたシーズン最後の試合をベンチで90分間過ごし、チームが降格するのを目の当たりにした経験もある。
そんな苦い経験を経て迎えた昨シーズン、残留争いの直接のライバルとなるフライブルクを相手に先制ゴールを決めた。清武の思いの乗り移ったかのようなヘディングで、ハノーファーを残留に導いた。推定430万ユーロというクラブ史上3番目に高い移籍金でやってきた清武が、真価をみせた。