野球善哉BACK NUMBER
無名高から専門学校を経て初勝利。
西武・宮田和希の「長かった」道程。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/06/02 10:40
昨年は10試合に登板し、防御率1.84、奪三振率10.43を記録した宮田和希。プロ7年目に記録した初勝利は、飛躍のきっかけとなるのだろうか。
社会人扱いで、在籍は基本的に2年間。
滋賀県にある甲賀健康医療専門学校は、専門学校ながら所属は社会人野球扱い。学校への在籍は基本2年だが、そこから1~2年は野球部に残ることが可能だ。とはいえ、ほとんどの選手が2年しか在籍しないから、チームを強化するには厳しい環境と言えるが、この2年が宮田にとって貴重な経験となった。
「高校までは打たせてとるタイプだったんですけど、三振を取れるタイプになりました」
ストレートの最速が140kmを超えるようになり、武器にしていたスライダーがより生きるようになった。
西武スカウト「全く実績のない選手を候補に挙げても」
そしてもう1人の恩人が、西武のスカウト・後藤光貴である。
当時スカウトになって間もなかった後藤は、スカウト会議の席でこんな疑問を上司たちに投げかけたという。
「アマチュアで試合に1度も勝ったことがないような、全く実績のない選手を(指名の)候補に挙げてもいいんでしょうか?」
後藤の頭には、もちろん宮田のことが浮かんでいたに違いない。
上司から快諾の返事をもらうと、後藤は宮田を真剣に追うようになった。
もともとは、後藤が社会人野球在籍時代の先輩だった藤本に挨拶に行ったことが始まりだった。スカウトになったと報告に甲賀健康医療専門学校を訪れたとき、ブルペンで投げていたのが宮田だった。後藤は当時をこう回想している。
「スライダーが良かったんですよ。これはなかなか打てないだろうって。武器になるって思いましたね。ただコントロールはとんでもなかったですよ(笑)。ストライクもそんなに入らないようなピッチャーでした。でもスライダーだけは良かったから、これが少しでもストライクになってストレートにスピードが出てきたら、プロで飯が食えるんじゃないかって思いました。
そう思って見ていたら、徐々にコントロールが安定してきたんです。それで、スカウト部長が関西で観戦予定だった試合が雨で中止になった時に『部長、ちょっと僕とドライブに行きませんか?』って誘って、グラウンドのある甲賀までついてきてもらったんです」