ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
21歳で22カ国を巡る旅人ゴルファー。
川村昌弘の「英語はダメ」な生き方。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byGetty Images
posted2015/05/20 10:40
2014年は15カ国でプレーした川村昌弘。21歳の旅人は、これからどれだけの国、場所でゴルフをしていくのだろうか。
賞金王よりメジャーより、世界を回ること。
だが川村はその後、「彼らとまた同じ舞台で戦おう」といったステレオタイプな目標とは、少し違う夢を描いていった。
「自分は将来ゴルフでいったい何カ国に行けるだろうか。何カ国で勝てるだろうか。それがモチベーションになった。賞金王になって、メジャーでタイトルを……というよりも、上手くなって、どこにでも行けるようになりたい」
日本代表の一員として同世代の選手たちと戦った学生時代。高校卒業後は、アジアや欧州ツアーの予選会を受験するつもりだったが、莫大な遠征費の問題に直面した。「大学に行くつもりで」飛び込んだ日本ツアー。ルーキーイヤーの2012年にシードを獲得し、すぐさま翌年の「パナソニックオープン」で優勝した。
初勝利を飾ったこの大会はアジアンツアーとの共同開催だったため、そちらのシード権も獲得できた。アジアンツアーは欧州ツアーとの共催試合が多く、たちまち戦いの場はワールドワイドになった。昨年、毎年スイスで行なわれる憧れの大会、オメガ・ヨーロピアンマスターズに初めて出場した。14歳の時に見たアルプス山脈は、変わらずにあった。
「チープなお店にも連れてってもらえませんか?」
2014年はスイスも含め14カ国でプレーした。海外遠征も、ゴルフだけでは終わらないのが川村流だ。インドではタージマハル、ロシアでは予選落ちした週末に車を飛ばし、モスクワの赤の広場を訪れた。
各地でお世話をしてくれるコーディネーターたちは、親切心から現地で名の知れた老舗レストランに連れていってくれる。数日はそれでもいい。だがしばらくすると、川村の身体は疼いてくる。お決まりのパッケージ旅行では我慢できない。「学生時代に行っていたような、チープなお店にも連れてってもらえませんか?」とお願いしては、ビックリされる。
そんな様子だから、今回モーリシャスに出かける前も「去年21歳になって人生21カ国目に行った。22歳になる年に新しい大会ができて良かった」と喜び勇んでいたものである。現地情報はグーグルマップとウィキペディアで調査済。10世紀以上前に航海士たちが発見し、植民地時代にはオランダ、フランス、イギリスの支配下にあった島だということを知った。「フレンチ風の味付けが多かったですかね。レモングラスソース……みたいな。朝のブッフェはイギリス風」。旅の思い出は舌でも記憶している。