ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
松山・石川の2つ上が実は黄金世代?
薗田、藤本、小平の微妙な立ち位置。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byNIKEGOLF
posted2015/03/27 10:35
石川遼、松山英樹の2人がいなければ、薗田峻輔は「期待のホープ」だったに違いない。その運命の悪戯を、彼はどう受け止めているのか。
マキロイと同じ1989年生まれは、日本でも当たり年。
ところで、同様の数字は日本においても易々と達成されるものではない。男子ツアーで2勝以上挙げた現在25歳以下の選手は、松山、石川以外に薗田、藤本、小平の3人と、韓国の黄重坤だけだ。
マキロイと同じ「1989年生まれ」というのは、日本のプロの当たり年のひとつである。上記の男子3選手のみならず、女子にも宮里美香、森田理香子('90年1月出生の早生まれで同学年)をはじめ有名選手が揃う。だが、男子の3人にとってはそれも、2学年下の松山と石川の陰にあるトリビア的な話題でしかないのが現状だ。
いまの薗田の言葉からは、不遇の境遇と自虐的に向き合う思いが漏れ伝わってくる。「本当は男子も女子も、(同世代は)それなりの成績なんですけど……」
数年前までの物差しならば、確かにそうだった。けれど周囲の目は、一気に変わってしまった。もっと若く、もっと強く、もっと遠くへ。もっと、もっと……。
膨らみ続ける期待に、自分たちは応えきれていない。そう痛感してやまない。
「石川遼の先輩」として知名度を上げた薗田。
年下の選手に先を越され、その背中がどんどん小さくなっていく。胸に秘めた思いの複雑さは、こちらが察するに余りある。それでも薗田は殊勝に言う。
「逆に言ったら……僕なんか、力を貸してもらって知名度が上がった方だから。本当は先駆者になってもらってありがたいくらい」
力を貸してくれた人物。その名前を簡単に口にしないのが、やり場のない思いの表れかもしれない。もちろん、高校の後輩・石川のことだ。石川が高校1年時にアマチュアでツアー優勝を遂げると、薗田は「あの石川遼が尊敬してやまない先輩」として知られるようになった。
明大時代の2010年にツアーに飛び込み、プロデビューからわずか5試合目で優勝。堂々たる実績を作ったが、2勝目までには3年かかった。「1勝してから良いパフォーマンスができなかったことを僕は反省しなきゃいけない。やっぱり2人(石川と松山)は、しっかりした成績を(表舞台に)出てきた後もずっと残しているんです」
シーズン開幕を目前に控え、薗田は「2年、3年……5年後に自分がどこでプレーしているかということを想像しています。そのためにしっかりとした実績が必要だと思っている」という。
真っ先にイメージする場所は米国だろうか? そう聞くと彼は「はい」と即答した。