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あるプロレスラーの死地彷徨――。
ヨシタツに降りかかった不運と幸運。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/02/08 10:50
米国で活躍していた頃のヨシタツ。WWEという世界最高峰のリングで覚えた華やかなスタイルを、再び日本で披露する時を待ちたい。
絶対に骨折は無い――危うい自己判断の末。
まず首を負傷した状況についての彼の説明はこうだ。
「技(AJの決め技「スタイルズクラッシュ」)を受けた瞬間、ボキっていう音が聞こえました。やばい、折れたのかと思いました。
でもその直後に3カウントを取られた時にはちゃんと手足が動くことがわかったんです。なので首に相当のダメージは受けたものの、骨には異常がないだろうと自分で判断していました」
試合を終えた後も首に痛みはあったものの、手足の痺れや麻痺はまったくなく、ヨシタツは改めて最悪の事態は避けられたと確信していたという。そのため試合後もトレーナーから細かい診断を受けるのを拒み、氷だけをもらって患部を冷やすことしかしなかった。この後に続くワールド・タッグ・リーグが彼にとって母国凱旋を飾る大事なシリーズになるのは十二分に理解していたし、負傷もシリーズ開幕までには回復できると考えていた。この時点で、ヨシタツは頸椎骨折をしているなど思いもしていなかったのだ。
絶対に繰り返してはいけない、三沢光晴の悲劇。
ところがこれはあまりにも危険な判断だった。
実際は、ただ運良く脊髄や中枢および末梢神経系に損傷がなかっただけだったのだ。特に今回ヨシタツが負った第2頸椎骨折の場合、神経系の束が破断するようなことになれば、呼吸器系統が機能不全となりそのまま頓死してしまう可能性もあったのだ。
'09年6月13日に、三沢光晴がマット上で壮絶な死を遂げたのも、頚椎損傷による心肺停止が原因だった。
この時、ヨシタツはすでに第2頸椎が骨折していたにもかかわらず、試合直後にスタイルズのセコンドについていたジェフ・ジャレットからギターショット(アコースティックギターで頭部を打ち砕かれる)をも浴びている。
試合会場だった大阪から東京に戻ったヨシタツは、ワールド・タッグ・リーグに備え、首の負傷を意識しながらも、できる限り普通の日常生活を送ろうとした。だが現実は、想像以上の激痛に襲われ続ける毎日だった。
野球選手をはじめ多くのスポーツ選手が利用する一般的な鎮痛剤「ボルタレン」という薬がある。通常は1回1錠を服用するものをヨシタツは普段から2錠使用していたのだが、この頃はそれでも効かなかったため最終的に1回1シート(10錠)を飲んでいたという(その話を後に医師に話したところ「そんな無茶をしたら胃に穴が空いてしまう」と言われたそう)。