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あるプロレスラーの死地彷徨――。
ヨシタツに降りかかった不運と幸運。 

text by

菊地慶剛

菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2015/02/08 10:50

あるプロレスラーの死地彷徨――。ヨシタツに降りかかった不運と幸運。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

米国で活躍していた頃のヨシタツ。WWEという世界最高峰のリングで覚えた華やかなスタイルを、再び日本で披露する時を待ちたい。

“欠場”か“死”か? その心中やいかに。

 宿泊場所は新日道場内の寮だった。必然的に道場は他のレスラーや新日関係者のたまり場となる。寝泊まりしていた個室では激痛のため起き上がるのも辛い状態だったが、周りの人間に悟られないように1日2回は無理をして他の人々の前に姿を見せるようにしていたそうだ。そればかりかプロレス専門誌のため表に出て棚橋と一緒にワールド・タッグ・リーグに向けたインタビューにまで応じていた。

 そして激痛が消えないまま11月22日を迎えた。

 この時点になってもヨシタツの頭の中には“欠場”の2文字はなかった。だがその一方で会場の後楽園ホールに向かうバスの中、死をも覚悟するほどの不安を抱えていたという。激痛を抱え情緒不安定になっていたこともあるだろう、彼はフロリダの自宅にいる夫人(この時点でワールド・タッグ・リーグまでの参戦しか決まっておらず、自宅に家族を残しての単独帰国だった)に別れを告げるようなメッセージまで送ったという。欠場も可能だった試合前ということを考えると、その第六感は決して間違ってはいなかったのだが……。

復帰の可能性が十分残された治療が施された。

 決死の思いで上がったリングだったが、言うまでもなくプロレスになるはずもなかった。

「あまりの痛みにファイト中も意識が飛んでしまい、戦いながらも断片的にしか何をしているのか理解できない状態でした。自分の様子を見て回りの人たちも明らかにおかしいと感じていたそうです」

 結局ヨシタツ・棚橋組は開幕戦を勝利で飾れなかった。当然といえば当然の結果だが、それ以上に頸椎骨折のまま戦い続け、ここでも脊髄、神経系に損傷が出なかったのはまさに奇跡といえた。

 そして前述した通り、新日サイドもヨシタツの状態を考慮し、翌23日にはシリーズ全試合欠場を発表している。それでも骨折まではしていないと考えていたヨシタツは、試合後も道場に戻り、週明けの25日になって自分の足で初めて病院に向かったのだという。そこで頸椎骨折という診断を受け、そのまま緊急入院を余儀なくされたわけだ。

 病院での治療法は骨折箇所を直接修復するのではなく、頭蓋骨の4箇所にボルトを差し込み頭部を固定する「ハローベスト」を装着し、骨折箇所の自然治癒を促すというものだった。ヨシタツの今後のレスラー人生を考慮しての、医師団の決断だった。

【次ページ】 プロレスラーの“性(さが)”とは言うものの……。

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ヨシタツ
棚橋弘至

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