箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
王者と新興校で己を磨いた村山兄弟。
“最速”の2人が集大成の箱根へ。
posted2014/12/02 10:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Nanae Suzuki
史上初めて、台風で出雲駅伝が中止になった今季。大学駅伝の初戦となる全日本は、例年以上の注目を集めた。そんな中で、1区で熾烈な区間賞争いを演じたのは双子の村山謙太・紘太の兄弟。別々の大学で、エースへと成長した2人は今年、大学最後の駅伝シーズンを迎えている――。
「駒澤を選んだのは、強い先輩に憧れたからです。高校は強豪校ではなかったので、駅伝で負けても悔しくなかったし『区間賞を取れれば……』という感じだった。だから『駅伝で勝負したい』と思ったのが一番の理由です」
学生三大駅伝では最多タイの優勝21回を誇る王者・駒大。そこへの進学理由をこう語ったのは、兄の謙太だ。宮城・明成高校時代から、同世代では全国トップの実力を持っていながら、チームとしての活躍に恵まれることはなかった。
「もっと素直な言い方をすれば『強い先輩に頼ってみたい』という気持ちがあったんです。高校では1年からずっと自分がエースでしたから、先輩たちと駅伝で優勝を目指すというのがすごく魅力的に思えたんです」
「正直、高校時代は比べられるの、嫌でしたよ」
一方、同じ高校で同様に勧誘を受けた弟の紘太は、兄とは別の道を進むことを選んだ。
「謙太と同じことをしても勝てないと思ったんです。城西大を選んだのはトラックで勝負したかったのと、自由な校風に魅かれて。あまり規律の厳しいチームは、自分に向いていないと思ったので」
紘太にとって今年は、まさに飛躍の年。アジア大会では初めて日の丸を背負って5000mで5位と、日本のトップレベルに躍進。すでに活躍を見せていた兄の背中が、手の届く位置にまで来た。
「正直、高校時代は比べられるの、嫌でしたよ。向こうは全国でもトップで、自分は勝てなかったですし。でも、今思うと色んな所で差があった。ふっと部屋に入ると謙太は補強で腹筋していた、とか。自分はそういうこと、全然していませんでしたから。練習について本気で考えるようになったのは別の大学に入ったのが大きかったと思います」