濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
新生K-1が65kgトーナメントを開催。
見事に受け継がれた伝統と“らしさ”。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2014/11/09 10:50
通常は60kg前後のムエタイルールで戦っているゲーオ・フェアテックス(左)。体重の壁もルールの壁もこの男の前では関係なかった。
そして、K-1らしい王者が誕生した。
決勝では、体格差と左右田のタフさに苦しむ場面もあったものの、ゲーオが左ミドルとヒザ蹴りで確実にダメージを与えて判定勝利。チャンピオンベルトはタイの軽量級戦士が巻くことになった。ムエタイにはテクニック偏重、ポイント争い重視のイメージもあるが、ゲーオのスタイルは“倒すムエタイ”。誰が見ても凄味が伝わる選手だ。
ゲーオの強さは格闘技ファンなら誰もが知るところだが、65kgでは明らかに体格的ハンデがある。それを乗り越えての優勝はドラマチックなものであり、K-1らしい王者が誕生したとも言える。
1993年の第1回K-1グランプリ(ヘビー級)で優勝したのは、日本ではまったく無名のブランコ・シカティックだった。K-1 MAXの第1回世界トーナメントでは日本代表の魔裟斗と小比類巻貴之が準決勝で敗れている。そして今回はKrushファイターが次々に敗れ、日本人の優勝もかなわなかった。
意外性がもたらすインパクトと新たなスターの誕生こそK-1の歴史。それは新生K-1でも受け継がれたと言っていい。新たな体制、新たな選手たちによるイベントは、しかしまぎれもなく“K-1”だった。