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“弱いロッテ”を変えた強気と度量。
里崎は最後まで「野球好き」だった。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/09/30 10:40

“弱いロッテ”を変えた強気と度量。里崎は最後まで「野球好き」だった。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

引退セレモニー後、紙吹雪が舞う中でスタンドに手を振る里崎。ちなみにロッテが発売する「ビックリマン」の終身名誉PR大使に就任するなど、現役を退いてからもファンを楽しませてくれそうだ。

ドラフト指名を受けたのは、18連敗の'98年だった。

「16年の現役生活のなかで、日本一2回、世界一1回、アジア一1回。みなさんの期待に応えることができたでしょうか!?」

 引退セレモニーでのスピーチ。里崎がそう問いかけると、ライトスタンドからは呼応するような大歓声が響き渡る。そこには、涙を流すファンも少なくなかった。

 それだけ、ファンは知っているのだ。

 里崎が、ロッテを強くしてくれたのだ、と。

「優勝チームに名捕手あり」とは、名将・野村克也が残した名言であるが、里崎はそれを見事に体現した捕手だった。

 小学2年生で野球を始めてから、捕手しかやったことがなかった。

 野球が好きで、捕手が好きで「誰よりもうまくなりたい」と研鑽を積み、1998年にロッテからドラフト2位で指名された。

 奇しくもこの年のロッテは、プロ野球記録の18連敗という不名誉な記録を残すなど、どん底のチーム状態だった。

 里崎は、入団当初の自分をしみじみと振り返る。

「18連敗の年に入団して、『千葉ロッテの一員としてファンの大声援のもとでプレーしたい』と浦和(二軍の練習場)で無我夢中で頑張って。初めて千葉マリンスタジアムの大声援のなかでプレーできた時は、本当に幸せな気分になりました」

 プロ2年目。2000年4月6日の西武戦で、念願だった千葉マリンスタジアムでプロデビューを飾ることができた。そこから'05年に正捕手になるまでいささか時間を要すことになるのだが、里崎に焦りはなかった。

 そこには、「野球を楽しむ」という彼にとって絶対的なマインドが存在したからだ。

「プロになってからも仕事だと思って野球したことない」

 里崎は以前、その意味を説明してくれたことがあった。

「小学2年生から何十年というクソ長い時間、野球を続けているわけですけど、こんな楽しい生活ないですよ。気持ち的には小学生時代から変わらないですもん。野球好きの自己満足です、はははは。プロになってからも仕事だと思って野球したことないですから」

 野球を楽しんできてプロになった。人はそれを「センスだけでやってきたから」と言うかも知れない。

 だが、里崎の楽観思考の特異さは、失敗すら「野球の楽しさの一環」として捉えられたことだった。

【次ページ】 1回の失敗で気持ちが窮屈になってしまうのも嫌だ!

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