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ノアが迎えた5年目の“あの日”――。
天国へ捧げたエメラルドフロウジョン。 

text by

橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byYukio Hiraku

posted2014/06/20 10:40

ノアが迎えた5年目の“あの日”――。天国へ捧げたエメラルドフロウジョン。<Number Web> photograph by Yukio Hiraku

齋藤彰俊に不知火を仕掛ける丸藤正道(上)。三沢光晴はどんな気持ちでリングを見ていたのだろうか。

観客は、三沢に会いに来ていたのだ。

 そう、この大会の主役は、あくまでも三沢光晴だった。追悼セレモニーで入場曲『スパルタンX』が流れると、大きな三沢コールが巻き起こった。無人のリングに紙テープが投げ込まれる。観客はこの日、会場のどこかにいるはずの三沢に会いに来ていたのだ。

 メインイベントは丸藤正道vs.齋藤彰俊のシングル戦。この試合もメモリアルマッチだ。

 丸藤は全日本プロレスでの新弟子時代に三沢の付き人を務め、ノアではGHCヘビー級チャンピオンとして三沢とタイトルマッチを行ってもいる。対する齋藤は、三沢の最後の対戦相手。齋藤のバックドロップを受けた直後に三沢は意識不明となり、そのまま帰らぬ人となった。

 現在はノアの副社長としても団体を牽引する丸藤。齋藤は2011年いっぱいでノアとの所属契約を終了し、今回はフリーとしての参戦だった。

丸藤が齋藤を仕留めた、“特別な技”。

 三沢に捧げる闘い。そのクライマックスで、齋藤はバックドロップを二度、繰り出した。三沢が最後に受けた技、三沢が亡くなってからしばらくは封印していたバックドロップを。そんな特別な技を食らった丸藤は、“特別な技”で齋藤を仕留めた。

 自身の得意技・ポールシフトの体勢で齋藤を抱え上げた丸藤だが、そこから投げた形は三沢のフィニッシュホールドであるエメラルドフロウジョンになっていたのである。

「ポールシフトを狙ったけど、バランス的に横に投げる形になった」とインタビュースペースで語った丸藤。しかしその言葉を額面通りに受け取った人間はいないだろう。三沢のメモリアルマッチでエメラルドフロウジョンを放つことに、特別な意味がないわけがない。

特大の“アキトシ”コールで迎えた大団円。

 会場が最も沸いたのは、試合後のやりとりだった。

「再び“ノアの齋藤彰俊”として、俺たちとこのリングを守ってください」

 丸藤が団体復帰を呼びかける。齋藤はこう叫んだ。

「俺はあれ以来、コスチュームを変えてない。いつも心はノアでした!」

 特大の“アキトシ”コールで、三沢光晴メモリアルナイトは大団円を迎えることになった。

 三沢が息を引き取った翌日、齋藤は「どんな重い十字架でも背負う」と語っている。だが、その十字架は彼ひとりが背負うべきものではないのかもしれない。

【次ページ】 三沢が殉じた、興奮と切なさのプロレス。

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