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蔦監督の遺産を胸に。
池田高校、22年ぶり聖地へ。
~選抜で響く「ニューやまびこ」~ 

text by

船曳陽子

船曳陽子Yoko Funabiki

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/03/20 16:30

蔦監督の遺産を胸に。池田高校、22年ぶり聖地へ。~選抜で響く「ニューやまびこ」~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

蔦監督の碑の前で気勢を上げる岡田監督(前列右から2人目)とナイン。

弱小校への転勤が決まった際、恩師がかけた激励。

 そんなころ、部員9人を集めるのも苦労する弱小チームだった穴吹高校への転勤が決まった。池田を甲子園へという目標を絶たれて落ち込む愛弟子に、蔦監督は「よかったのう。どこぞでお前が好きなようにしたらええんじゃ」と背中を押した。

「唯一でした、よかったと声をかけてくれた人は。それでほんまによっしゃ、もういっちょ頑張るかという気持ちになれたんです」。穴吹では12年間で県内の上位校まで育て上げ、4年前に池田へ戻った。

 蔦監督勇退後の'92年夏以来、22年ぶりの甲子園。31歳の青年監督は52歳になった。蔦監督が20年目で初出場した時より長い時間がたっている。「もうゼロに戻っとる。上を向いて行こうと思います」

守りに入らず「IKEDA」らしい攻めダルマの気持ちで。

 蔦監督は勇退時、一度も岡田監督に「お前に任せる」と言わなかった。甲子園の定宿、網引旅館で自分専用だった2階の小部屋を「今日からお前が使え」と譲っただけだ。ただ、妻のキミ子さんにだけは「岡田にやらすけんの」と言っていた。重圧を感じさせまいとしたのだろう。その思いにも応えたい。

「IKEDA」のユニホームを着て大舞台に立つナインは、当然蔦監督を知らない。かつての栄光も実感はない。知っているのは、学校の玄関前にある「山あいの町の子供たちに、一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」と名将の自筆で刻まれた石碑とノック姿の写真くらいだ。守るものは何もない。ただ、攻めるのみ。この春、聖地で見られるのは、確かに攻めダルマの系譜だ。

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