オリンピックへの道BACK NUMBER
伊藤みき、積み重ねた時間の果てに。
「膝の悪化で棄権」という残酷な現実。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShinya Mano/JMPA
posted2014/02/07 11:45
スタッフの助けを借りながら医務室へ向かう伊藤みき。26歳で迎えた3度目の五輪、8日の予選2日目は果たして……。
スタジアムの外には、急きょ呼ばれた、黄色の地に赤のラインと「103」と番号の入った救急車が到着していた。その車内に彼女が運び込まれる光景は、鈍い衝撃でもあり、重たくもあった。
2月6日、開会式に先行して一部の競技が始まった。そのひとつ、女子モーグルの予選1回目に、伊藤みきの姿はなかった。
直前の練習でのことだ。現地入りしてから慎重に練習を重ねてきた伊藤が、エアを入れてコースを滑る。第2エアで着地したとき、バランスを崩した。そのまま滑ってフィニッシュラインを超えた伊藤だったが、コース脇にうずくまると、叫んだ。
「誰か来てください!」
大会スタッフが駆けつける。右膝を押さえるようにする伊藤を、黄色のウェアの日本チームスタッフ2人が支えてテントに運ぶ。その後、医務室へ移った伊藤は、救急車で会場をあとにした。チームスタッフの人々の厳しい表情が、切迫感を表していた。その後の予選は棄権を余儀なくされた。
昨年12月に負った大怪我、医師は断念を勧めた。
昨年12月、前十字靱帯損傷の怪我を負った。全治8カ月の重傷。最初に診断した医師からはソチ出場を断念するよう、勧められた。それでも出場への可能性を探りそれを見出すと、あきらめずにソチにまでたどり着いた。そして迎えた試合当日、練習での着地――。
「うまくいかないからといって、金メダルを取るという目標を変えるのは嫌でした。バンクーバーの後、覚悟を決めてソチに向けてやっていくと決めたので、この足で勝てるよう取り組んでいきたいと思います」
ソチを目指すと表明した12月中旬の会見での言葉だ。
伊藤は、バンクーバーからの4年の日々について触れた。
そればかりではない。競技を始めてからの、初めて出場した2006年のトリノ五輪からの時間の積み重ねもある。