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最下位の日ハム、来季は優勝争い?
肝はドラフト下位選手の「伸び率」。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2013/12/18 10:30
選手との対話を欠かさない栗山英樹監督。スカウト、首脳陣と選手との距離の近さが、日本ハムの強さを支えている。
矢貫と河野はどちらも社会人を経て指名された。
矢貫は仙台育英高校時代、ベンチ外の選手だった。190cmという上背がありながら、その力を活かしきれなかったが、常磐大、三菱ふそう川崎を経て、'08年3位で入団。「背の高い投手を好む指導者のもとに上手く入ることができ、育っていった選手」とは矢貫の仙台育英高時代の恩師・佐々木順一朗監督の言葉だが、矢貫の力を見抜いたスカウトの眼力は、優れモノといえる。
河野は京都府の無名公立校・山城から佛教大~新日鉄住金広畑を経て、'12年7位で指名された。
彼らの力を見抜いたスカウトの眼力は賞賛に値する。
実は筆者は、高校時代の河野のピッチングを一度だけ見ている。というのも、練習試合で対戦したある高校の選手から「山城高の投手が良かった」とウワサを聞き、秋季京都府大会の一次予選の取材に向かったのだ。
当時はスリークウォーターから投げる投球フォームで、特に圧するものがあったわけではない。チームを右腕一本で引っ張る、公立校にいそうな投手という印象だった。当然、将来的にドラフト候補になるとは思っていなかった。
アマ時代を振り返り、河野がこう話していたことがあった。
「自分がプロに行くとは思っていなかったですね。大学で野球を辞めるつもりだったんですけど、社会人に獲ってもらったんで、やるなら本気でやろうとプロを目指しました。大学時代の一つ下に大野雄大(中日)がいたんで、あいつの頑張っている姿は刺激になりました。大野は、練習でよく走っていた。自分が社会人になった時に、大野がプロから指名されることは分かっていたんで、あいつがやっていたから、自分もという気持ちはありました」
今シーズンの戦いで、河野は右の重要なワンポイントとして起用される場面が多くあった。シーズン序盤は、敗戦処理のような役回りだったが、次第に活躍の場を広げ、オリックスの主砲・イデホへのワンポイントなど、ひと仕事で役割をこなしていく姿は、職人の空気すら漂わせていた。河野の活躍を見越して、指名にこぎつけた担当スカウトも賞賛に値するだろう。
日本ハムは、毎年のドラフトで選手を多く指名する傾向がある。昨年、一昨年と7人ずつを指名したのに、今年も8人を指名した。だが、これだけ思い切ったことができるのは、スカウトの眼力と育成力に自信があるからこそなせる業であり、日本ハムのチームマネジメント力といえる。