Jをめぐる冒険BACK NUMBER
俊輔と憲剛、2人の“勝負強さ”観。
J最終節の明暗の続きは、天皇杯へ。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKenzaburo Matsuoka/AFLO
posted2013/12/13 10:30
最終節で明暗を分けた中村俊輔と中村憲剛。35歳と33歳、チーム、そしてJを引っ張る2人の司令塔が天皇杯で再び相見えることはあるのか。
リーグ最終節につきものの光景とはいえ、歓喜と悲嘆のコントラストには胸詰まるものがある。
等々力で行なわれた川崎フロンターレvs.横浜F・マリノス戦。この日は3人の流した涙が印象的だった。
勝者となった川崎のふたりが見せたのは、必ずしも歓喜によるものではない。
得点王のタイトルを手にした大久保嘉人は亡き父を思って言葉を詰まらせ、中村憲剛は今季限りでスパイクを置く盟友、伊藤宏樹を思い、こみ上げてくるものを押さえることができなかった。
ともに試合後のインタビューでこぼれた涙。照れ隠しなのか、必死に笑顔で取り繕おうとする姿に心が大いに動かされた。
神様は、中村俊輔にどれだけの試練を与えるのだろう。
一方横浜の中村俊輔は、試合終了を告げるホイッスルが鳴った瞬間、その場に崩れ落ち、しばらく立ち上がることができなかった。
彼をずっと追いかけてきた記者たちと比べたら、試合を見たり、インタビューをした機会ははるかに少ない。それでも、ピッチに突っ伏して悔しがる姿を見ていたら、日韓W杯や南アフリカW杯など、過去のいろんな情景が脳裏に浮かび上がってきた。
サッカーの神様は、この選手にいったいどれだけの試練を与えるのだろう――。そう思わずにはいられなかった。
それまで連敗したことのなかったチームが、最後の2試合を続けて落とす。ホームで6万人以上の後押しを受けながら、アルビレックス新潟に0-2で完敗すると、最終節でも川崎に0-1で敗れて首位から転げ落ちた物語は、あまりに悲劇的だった。
意外だったのは「残り数試合で後ろから追いかけられる」展開を、中村俊輔が「そういうのは初めて」と明かしたことである。
言われてみれば、横浜で2000年のファーストステージを制したときは最終節での逆転だったし、'01年の戴冠はカップ戦でのものだった。セルティック時代の'05-'06、'06-'07シーズンはスコットランドリーグを独走し、'07-'08シーズンはライバルの失速で、残り4節で追い抜いて掴んだ栄冠だった。