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<Jリーグに愛された妖精> ドラガン・ストイコビッチ 「世界のどこかで必ず日本を見つめている」
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byAsami Enomoto
posted2013/12/18 06:00
選手として8年、監督として6年。名古屋を去る
決断を下した名選手にして名監督“ピクシー”が、
日本とJリーグへの尽きせぬ思いを語った。
決断を下した名選手にして名監督“ピクシー”が、
日本とJリーグへの尽きせぬ思いを語った。
現役時代と監督時代を合わせると、僕はかれこれ14年も日本で過ごしたことになる。
振り返ってみると、あっという間だったよ。もともと人生なんて短いものだけど、ほんの数日前に来日したような印象しかない。
日本にこれほど長く留まることができたのは、すごく幸運だったと思う。実は1994年に来日した当時、名古屋を辞めてヨーロッパに戻る寸前までいったんだ。当時のグランパスは試合に負け続けていたし、つまらないミスも多すぎた。なのに監督と話し合いをしようとしても、一切聞く耳を持ってもらえなかったからね。
そこで奇跡が起きた。フロントが監督を代えてベンゲルを連れてきたんだ。彼が名古屋にやってきたのは、クラブにとっても僕にとっても、大きなターニングポイントになった。
以来、僕は今日まで日本サッカーに深くかかわり続けてきた。たしかにスタート直後のJリーグはいくつかの課題を抱えていた。特に気になったのは戦術面だ。ゾーンディフェンスとマンマークの違いなども正しく理解されていなかったから、組織的な守備が本当の意味では浸透していなかった。
選手の意識の持ち方についても、完全に納得していたわけじゃない。日本人はしっかりしたテクニックを備えていたし、誰もがJリーグを盛り上げようとしていた。だけど僕の目にはプロとしての自覚が足りなかったり、責任を全うしていないように映る選手もいた。