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<全米オープンで得た自信> 松山英樹 「いつかメジャーで勝てる日が来る」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byTaku Miyamoto
posted2013/06/27 06:01
滅多に口にすることのない、石川遼への対抗心。
いくらシーズンの目標や毎週のトーナメントで目指す順位を聞いても「特にありません」と返ってくるばかりで、的外れな質問が飛べば露骨に嫌悪感を示すのだ。松山の会見では、機嫌を伺う長い沈黙が生まれ、記者たちを緊張感が包んでしまう。常に模範解答の石川遼とは、取材対応でも対極に位置するプロゴルファーといえよう。
よほど琴線に触れる話題でない限り多くを語ろうとしないからこそ、松山が饒舌になる時、そこに本心や野心が見え隠れする。
プロデビュー戦を直後に控えた今年4月、彼をインタビューした際に滅多に口にすることのない石川への対抗心をむき出しにした。
出会ったのはお互いが中学1年生の時。松山は当時、230ヤード程度しかドライバーが飛ばなかったが、石川は松山を優に50ヤード近くオーバードライブしていた。
「こんなにスイングがきれいなジュニアゴルファーがいるんだな、って圧倒されました。だから遼が15歳でプロで勝っても、自分も続きたいとは思わなかったし、先を越されたという焦りも生まれませんでしたね。常に自分の先を歩いている存在が遼でした」
「『意識しないように』と、特別意識している存在が遼ですね」
松山が世間の耳目を引いたのは'10年10月のアジアアマチュア選手権で優勝し、翌週の日本オープンで3位に入った時だ。以降、石川と松山は同級生ライバルと位置づけられ、常に比較されてきた。
しかし、16歳でプロになった石川と、アマチュアの世界に生きてきた自身を対等の立場で比べられることに、松山は違和感を覚え、戸惑いを隠せなかった。報道陣から石川の話題を振られるたびに、松山はぶっきらぼうな物言いに終始するようになっていく。
「自分としては『意識しないように』と、特別意識している存在が遼ですね。ライバルというのとは違うかもしれない。だって、ようやくプロになった時には、遼はアメリカなんですから(笑)」
アジアアマチュア選手権の連覇によって、マスターズに'11年、'12年と連続出場を果たすと、1年後にプロに転向する決意を固めた。1年に及ぶ準備期間の中で、パッティング練習に多くの時間を割き、体幹トレーニングなどを導入して身体を大きくしていった。