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<シリーズ 3.11を越えて> サッカー日本代表専属シェフ、西さんの味。~今も福島・Jヴィレッジの厨房で~
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTsutomu Takasu
posted2013/03/09 08:01
パニック状態の施設で炊き出しに取り掛かった、あの日。
2011年3月11日。西にとっては生涯忘れられない一日になった。
金曜のJヴィレッジはサッカーの合宿などで満館状態だった。ランチの片付けを終えた西は夕食の準備に取り掛かる前に、外に出て電話をしていた。
「地震、凄い地震だよ!」
その声を最後に仙台からの通話が途絶え、わずかな間を置いて激しい揺れがJヴィレッジを襲った。施設からは雪崩を打って人が出てくる。パニック状態だった。
外は吹雪になり、風が荒れていた。
災害時にここは避難施設として使用される。その心得があるゆえ、西はすぐさまガスボンベ5本を手配して、うどん、ラーメンの炊き出し300食分の準備に取り掛かった。
当時のことを尋ねると、西は両目を閉じてしばらく間を置いてから語り始めた。
「地震があった時点で、従業員のみんなには『家族が心配な人は、構わないで行ってくれ。残れる人だけでやろう』と伝えました。ある人は、海岸沿いにおばあちゃんが一人で住んでいて物凄く心配なんだけど、真っ暗になって駆けつけられないと。そういう人まで一緒になって炊き出しをやってくれたんです」
避難指示が出たが「米も研いでから持っていきたかった」。
西も家族と連絡が取れず、安否を確認できないでいた。2人の娘は東京にいて、両親は南相馬市で暮らしている。西は家族を気にかけながらも気丈に振る舞い、避難してくる人のために深夜まで炊き出しを続けた。
翌朝、Jヴィレッジの避難者にいわき市への避難指示が出される。自分の運転するバンにじゃがいも、玉ねぎなど残った食材を可能な限り詰め込んだ。ただちに避難するように言われていたものの、西の出発は遅れていた。
「施設にはタンクの水があったので、水の心配がいらなかったんです。だから米も研いでから持っていきたかった。あんときの水、メチャクチャ冷たかった感触が今も残ってます」
赤くなった手を休めることなく、何度も米に突っ込んではかき回した。