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大器であるが故の大成の難しさ――。
大谷翔平の自主トレから見えたこと。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2013/01/31 10:30

大器であるが故の大成の難しさ――。大谷翔平の自主トレから見えたこと。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

ブルペンで投球練習に励む大谷。高校3年の夏の甲子園に出ていないので、春季キャンプを報じるメディアで初めてじっくり見る人も多いのでは!?

大谷の高校生活を一変させた左足の故障。

 大谷は高校2年夏、左足の股関節を故障している。

 そのころからほぼ半年間、ほとんど練習をしなかった。

 技術練習を積む時間を得られなかったことが、高校3年春のセンバツ大会での直接対決を境にして生まれた藤浪との差だったが、大谷にしてみても、蓄えたものが十分にあった。

 それが「身体」だった。

 大谷は、技術練習の時間と引き換えにして、身体を大きくしていたのである。

 高校時代の恩師・花巻東の佐々木洋監督はこう話している。

「高校生のあの身長の成長過程で、食事を普通にとって運動をしていたら、太れないんですね。ましてや大谷の場合は骨が伸びている段階でした。ところが、大谷は怪我をして、走れないし、動けないので、食べるしかない。さらに、ホルモンの分泌は夜の寝ている間に行われて、筋肉や骨の成長も夜なんですね。食べて、たくさん寝させたら、みるみるウチに大谷の身体は大きくなりました。

 あの怪我がなければ勝てるピッチャーになることができたと思います。フォームを安定させることができたでしょうから。あの怪我が勝てない理由の1つにはなりましたけど、彼の身体が飛躍するキッカケにもなった。あの時期がなければ、160キロも、56本塁打もなかったと思っています」

大谷は高校時代の3年間に何を具体的な目標にしていたのか?

 大谷と藤浪の成績を引き合いに出して、「大谷は未完成」と表現されることは多い。だがそれは、あくまで「高校3年間」という尺度であって、大谷は大谷でしっかりした段階を踏んできていたのである。

 大谷はこう話している。

「高校時代に目標であった日本一になるということは果たせませんでしたけど、160キロを投げるための身体づくりをして、それが果たせた達成感はあります」

 さらに、もう1つ。大谷は、高校時代から置き去りにしてきた課題がある。それは、スライダーを投げた後に、フォームが安定しないという点だ。そんな短所があったから、高校時代に大谷はスライダーをさほど多投してこなかった。

 再び、佐々木の証言である。

「夏の大会はともかくとして、普段から大谷にはスライダーをあまり投げないように指示をしていました。というのは、スライダーを投げると身体を横に振ってしまっていたんです。そうなると、ストレートがいかなくなる。逆にカーブはいいフォームじゃないと投げられないので、そちらの方を優先させていました」

【次ページ】 高校時代にスライダーを投げなかった沢村賞投手。

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