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“いつのまにか賞金王”の藤田寛之。
本物を追い続けてきた43歳の矜持。 

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

PROFILE

photograph byToshihiro Kitagawa/AFLO

posted2012/12/04 10:40

“いつのまにか賞金王”の藤田寛之。本物を追い続けてきた43歳の矜持。<Number Web> photograph by Toshihiro Kitagawa/AFLO

JTカップ初の3連覇とともに賞金王に輝いた藤田寛之は、試合後の会見で「自分が賞金王になるようなツアーではダメだ」と苦言を呈した。

一歩一歩ハードルを越えて、たどり着いた賞金王の座。

 藤田自身も、昔から今の自分を想像できていたわけではなかった。

 プロテストに一発合格して迎えた'93年のルーキーイヤー。開幕戦で11位と幸先いいスタートを切ったものの、6月以降はほとんどの試合で予選落ちに終わった。AONのようなスーパースターを間近で見て「どうしたらいいか分からない」と混乱し、翌年の出場権を懸けた予選会にも失敗して「あんな世界でうまくいくわけがない」と途方に暮れた。

 ツアー生活に徐々に慣れ始めた'96年にもゴルフをやめようかと思ったという。師匠の芹沢と練習ラウンドを回っていて、「自分では考えられないショットの精度を見せられて、こんな風にはなれないと思った」とがく然としたからだった。

 それでも初優勝、シード、賞金ランク上位と徐々にハードルを越えて、次の目標を少しずつ上方修正しているうちに、いつのまにか賞金王にまでたどり着いていた。だが、今でも海外メジャーに出るたびに打ちのめされる。

 39歳を迎えた2008年から毎年海外メジャーに出場するようになり、新しい世界に直面した。

 飛距離で圧倒され、得意だったはずのショートゲームでもアドバンテージを持てない。選手もコースも桁外れ。だが、そこで持ち帰った課題が40代を迎えてもなお藤田を進化させる材料となってきたのだ。

忍び寄る衰えに抗いながら、さらなる高みを目指す。

 芹沢は藤田の成長について苦笑いを浮かべてこう語った。

「だんだん曲がり幅の許容範囲の意見が食い違うようになってきた。日本ではよくても米国じゃあ、と考えてるんだろうね。それぐらいいいじゃんと僕が言ってもまだ練習してるんですよ。もうやめろよ、体壊すぞって言ってますよ」

 そんな妥協知らずの姿勢を見て「今がピークだと思ったけど、まだ先にありそうだ」と芹沢は言うのだが、藤田はやっぱり闇雲に期待を抱いたりはしていない。

「168cmの自分のゴルフでも世界で生き残れる方法はあると思う。飛距離も番手も体格も一緒で世界ランク1位になったルーク・ドナルドみたいな選手がいるわけだから、同じ人間として絶対にできると思う。ただ、時間的な限界は感じる。43歳の自分にはもう上手くなるための時間がない。自分は天才でも何でもないから、時間を要して上手くなっていく。ゴルフをやればやるほど、追求すればするほど上手くなっていくのは間違いない。でも、その時間が自分にはもうないと思う」

 まもなく限界が訪れることを悟りながら、まだ小さな進歩があるはずだと信じて「確実な本物」を探す練習に毎日明け暮れる。

 後ろ向きな考え方しかできない人間なら、単調な練習の日々を繰り返せるはずがない。現実も困難も直視した上で前に進もうと努力する。「やればできる」、そんな単純さとは別次元のプラス思考。それがあるからこそ藤田は賞金王に上りつめられたのだ。

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