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全力プレーを貫き通して21年――。
金本知憲が球界に残した「当たり前」。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byHideki Sugiyama

posted2012/09/18 12:50

全力プレーを貫き通して21年――。金本知憲が球界に残した「当たり前」。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

9月12日に今季限りでの引退を表明した金本知憲。「限界かなという思いもある」と会見で語った鉄人だが、16日に行われた巨人戦でプロ野球歴代単独10位となる通算475号本塁打を放ち、最後の伝統の一戦で存在感を見せつけた。

 40歳を迎えた2008年、金本知憲にこんな質問をしたことがある。

「50歳までプレーする気持ちはありますか?」

 すると彼は、「ははは」と笑みを浮かべながらこう答えた。

「パフォーマンスは落ちてくるでしょうけど、落ちていないと思ったらやりますよ。その時は、『ちょっと顔にシワが増えたかなぁ』とか言っているかもしれませんねぇ」

 このときの金本は、連続フルイニング出場の世界記録を更新中だっただけに、4年後の44歳で現役生活にピリオドを打つことなど、当然、想像もできなかった。

「カープで優勝できなかったのが残念。タイガースに来てからはいきなり優勝させてもらって、歴史のなかでも一番強くてお客さんが入った時期で幸せでした」

 世界記録を1492試合まで伸ばした「鉄人」は、9月12日の引退会見で、そう21年間の現役生活を振り返った。

決して数字だけでは語れない、野球人・金本の功績。

 広島時代には'00年に史上7人目となる、「打率3割以上・本塁打30本以上・盗塁30個以上」のトリプルスリーを達成するなど、主軸としての働きを全うした。'03年に阪神移籍以後は、35歳からのキャリアにも関わらず1354安打、231本塁打、812打点をマーク。通算2533安打、475本塁打、1520打点(9月17日現在)は全て歴代10傑に入るなど、超一流にふさわしい数字を残した。

 だが、金本には数字以上の功績がある。

 それは、野球選手として「当たり前」のことを実践し、それらをチームメートはもちろん、ファンにも強く印象付けたことだ。

 以前、彼はこう言っていたことがある。

「どんな時でも全力でプレーするのは当たり前。怪我をしても我慢して当たり前。そういう感覚が自分のなかにあったからやってこられただけですよ」

 「当たり前」の一つは、その並々ならぬ勝利への執着心だ。

 阪神が18年ぶりにリーグ制覇を成し遂げた'03年、打率2割8分9厘、19本塁打、77打点と金本にしては凡庸な数字ではあったが、彼は「陰のMVP」と称賛された。

 その最大の理由は、徹底したチーム打撃。2番・赤星憲広が出塁すると、彼の盗塁をアシストするために、3番の金本はひたすら初球を見逃し、赤星が二塁へ進めば三塁へ進塁させるために右打ちを意識し続けた。

【次ページ】 1002打席連続無併殺のプロ野球記録を誇りに。

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