野球善哉BACK NUMBER
ダルなき日本球界を照らす一筋の光。
“向上心”の男、大阪桐蔭・藤浪の夏。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/08/29 10:30
光星学院を相手に、夏の甲子園決勝最多となる14奪三振で締めくくった大阪桐蔭・藤浪。プロ志望を明言し、「球団はどこでもいいです」と語る彼の進路に、プロ野球関係者の熱い視線が注がれている。
ダルビッシュ有が海を渡った2012年。
野球の神様が導いた運命のいたずらに、少なからずロマンを感じていた。
春のセンバツ大会で二人の“ダルビッシュ”が対決―――。
2012年は“みちのくのダルビッシュ”花巻東・大谷翔平、“なにわのダルビッシュ”大阪桐蔭・藤浪晋太郎によって野球界は震撼させられるのだろう、1回戦から実現した二人の対決にそんな気さえしたものだ。
結果、2012年の高校野球シーンを飾ったのは“なにわのダルビッシュ”藤浪だった。
「春・夏連覇」という偉業までついた1年だった。
とはいえ、高校時点での藤浪にあまり多くの期待をしていたわけではない。本家ダルビッシュは高校時代、成長痛でろくに練習できなかったというし、同じく190センチ超えの大谷が度々故障するというニュースを耳にするにつけて、過度の期待は禁物だと感じた。
長身の投手の場合、高校時代に結果を求めすぎない方がいい!?
ダルビッシュを上回る197センチの上背のある藤浪に大きな故障はなかったが、「どこかに落とし穴がある選手」といった大阪桐蔭・西谷浩一監督の藤浪評も、仕方ないのかなと思った。
手足が長く、身体的にバランスを保つのが難しい長身の投手の場合、高校時代は目先の結果を求めるより、じっくりと研さんを積む時期と捉えた方が後々のプラスになる。“なにわのダルビッシュ”と騒がれる藤浪の登場に喜びこそすれ、甲子園の出場や優勝は二の次とさえ思っていた。
幸か不幸か、藤浪は下級生のころ、甲子園とは縁がなかった。その分、じっくり練習を積み重ねてきた。もちろん、チームも本人も甲子園出場を渇望していたが、勝ちきれない日々が続き、そのことが逆に彼を大きくさせた。
そんな藤浪の成長を支えたのは、彼自身の“人間力”に他ならない。