ロンドン五輪EXPRESSBACK NUMBER
男子テニス決勝は、全英の再戦に。
A・マリーが手にした金メダルの重み。
text by
秋山英宏Hidehiro Akiyama
photograph byGetty Images
posted2012/08/07 10:30
7月のウィンブルドン決勝では、イギリス人選手として76年ぶりの優勝に期待がかかったが、決勝でフェデラー(写真左)に敗れたマリー(写真中央)。2週間後に訪れたリベンジの舞台で、見事雪辱を果たした。
前回の北京オリンピックで五輪テニスは新しい時代を迎えた。男子シングルスの金メダルはラファエル・ナダル(スペイン)だったが、「五輪とテニス」というものを考えたとき、印象深かったのは、スタニスラス・ワウリンカと組んで男子ダブルスを制したロジャー・フェデラー(スイス)の姿だった。
2大会連続でスイス選手団の旗手をつとめたフェデラーは、金メダルを熱望していた。シングルスでは、これまで負けていなかったジェームズ・ブレーク(米国)に準々決勝で敗退。しかし、メダルへの執念をダブルスで実らせた。「メダルは夢だった」。フェデラーの声は、うわずっていた。表彰式では、観客席からの声援におどけたしぐさで応えた。威厳という言葉が似合うテニス界の王者が、少年のようにはしゃいでいた。
「フェデラーの興奮ぶりは私たち選手から見ても驚きでした」というのは杉山愛。フェデラーの底抜けの笑顔を見た選手たちは、驚き、そして、五輪のメダルの重さに改めて気づいたのだ。
以前とは異なり、今や五輪は誰もが出場したいと願う大会になった。
テニスが五輪の正式種目に復帰したのは1988年。だが、ウィンブルドン、全仏など四大大会に重きを置くテニス界で、五輪の地位は高くなかった。しかし、男子が2000年のシドニー大会から、女子は'04年のアテネ大会から五輪でランキングポイントが得られるようになり、選手の意識が変わった。北京ではランキング上位選手がこぞってエントリーした。ダメ押しとなったのが、歓喜するフェデラーの姿だろう。五輪への気持ちの温度差をフェデラーが打ち消し、今や五輪は誰もが出場したいと願う大会になった。
ロンドン大会でも、選手は開幕前から五輪への意欲を口にした。昨年のウィンブルドンを制したぺトラ・クビトバ(チェコ)は五輪テニスを「5番目のグランドスラム」と呼んだ。錦織圭が1回戦で対戦したバーナード・トミック(豪州)も「五輪のメダルは四大大会のタイトルより大きな意味を持っている」と話していた。
メダルへの執念を見事に結実させたのがセリーナ・ウィリアムズ(米国)だ。四大大会で14度優勝の女王も、五輪のシングルスでは金メダルを手にしたことがなかった。約1カ月前にウィンブルドン選手権を制したセリーナは、同じ会場で行なわれた五輪でも圧倒的な強さを発揮した。決勝はマリア・シャラポワに6-0、6-1。計6試合を戦い、失ったのはわずか17ゲーム。まさにひとり舞台だった。