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驚くべき冤罪を浮き彫りにした、
ノンフィクションの真髄。
~我那覇“ドーピング事件”の真相~
text by
一志治夫Haruo Isshi
photograph bySports Graphic Number
posted2012/03/19 06:00
『争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と 彼を支えた人々の美(ちゅ)らゴール』 木村元彦著 集英社インターナショナル 1500円+税
我那覇、ドーピング、裁判――。私の記憶の中にはそんな言葉が断片的に残っているだけで、実際の事件の詳細に関してはまるで知らなかった。本書で初めて、それがいかに不可解かつ理不尽な事件であったのかを教えられた。
'07年4月21日に行なわれた対浦和戦でゴールを決めた川崎フロンターレの我那覇和樹は、実はこの日、体調不良に苦しんでいた。2日経っても、喉の痛みと腹痛は治まらず、身体は水も受け付けなかった。それでも、ポジション争いが熾烈なチームゆえ、練習を休む、という選択肢は我那覇にはなく、練習終了後、ようやくチームドクターに窮状を訴え出る。
体温38.5度。水を摂るのも困難な状態で、ドクターは緊急の水分補給として、ビタミンB1を入れた生理食塩水の点滴治療を施した。
「ねじれ」は、誤報から始まる。治療の翌朝、サンケイスポーツに「我那覇に秘密兵器 にんにく注射でパワー全開」という見出しの記事が出たのだ。本文には、「練習後、疲労回復に効果があるにんにく注射を打って大一番に備えた」とある。ご丁寧に「におうからあんまり近づかない方がいいですよ」という我那覇のコメントまで載っている。
「ひとつとして事実がない」記事にJリーグ側が敏感に反応。
記事はまったくのでっち上げだった。ひとつとして事実がない。もちろん、記者は我那覇に直接取材はしていない。
ところが、この虚偽の記事にJリーグのドーピングコントロール委員会がドーピング違反の疑いがある、と敏感に反応した。もちろん事実は「水分摂取困難のための緊急の水分補給であった」のだから、特に違反性はなし、とすればことは大きくならなかった。
が、「違反の疑いあり」とメディアに発表した委員会は、暴走を始める。青木治人委員長を先頭に、違反が前提の物語を紡ぎ出していくのだ。約1週間後に我那覇とチームドクターらに対して事情聴取が行なわれたことによって、暴走はもはや止められなくなる。他のメディアも「疲労回復のためのにんにく注射、規定違反」という文字を紙面で踊らせた。言うまでもなく誤報を元にした思い込みである。が、その思い込みを引っ込められなくなって、こののちのJリーグトップと委員会は、さらなる糊塗を続けていく。
結局、スイスにあるスポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定を仰ぐことになり、翌'08年5月、最終的に我那覇は「無罪」となるのだが、それでもなお「混乱を長引かせた」とJリーグのトップは我那覇側を批判した。誤報を元に走り始め、ひっこみがつかなくなって、あとは自分たちの保身だけに終始してきた傲岸な権威主義者たちこそ、断罪されるべきなのに。