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テキサス・レンジャーズ 「史上最年少GM、ジョン・ダニエルズの挑戦」 

text by

出村義和

出村義和Yoshikazu Demura

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photograph byYukihito Taguchi

posted2012/02/01 06:01

テキサス・レンジャーズ 「史上最年少GM、ジョン・ダニエルズの挑戦」<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

当時のオーナーがダニエルズを大抜擢した理由。

「その日、会議が終わって自宅に戻ると、さっきまで一緒に話し合いをしていたオーナー(当時)のトム・ヒックスから電話が入って、明日GM面談を行なうと言われた。僕が球団事務所を出た後に、ハートGMが辞任して、後任に僕を推薦してくれたとのことだった。唐突なオファーに、その晩は緊張してよく眠れず、朝4時には起き出して犬の散歩に出かけたほどだったよ」

 面談は3時間程度かけて行なわれ、その場で即決された。ヒックスは大抜擢の理由を次のように語った。

「彼は常にハードワーカーであり、優秀なGMになるための必須条件である豊かな知性の持ち主だ。さらに驚異的なまでの野球の知識を持ち合わせている。まるで“歩く野球百科事典”だ」

 メッツの本拠地球場、シティフィールドのあるニューヨーク市クイーンズに生まれたダニエルズは、熱狂的なメッツファンとして育った。自転車に乗って当時の本拠地シェイスタジアムに通い詰め、毎朝、新聞のスポーツ面を真っ先に開くと、試合の結果を伝えるボックススコア欄よりも、まず選手の移籍情報などを伝えるトランスアクション欄に目を通すような野球少年だったという。アメリカで人気のあるファンタジー・ベースボール(メジャーリーグのチームを作って楽しむシミュレーションゲーム)の愛好家でもあったのだ。

年間4万ドルの安定した仕事を投げうって、ロッキーズへ。

 野球は中学までやっていたが、高校で競争率10倍超の進学校に入ってからは辞めざるを得なくなった。大学はアイビーリーグの名門、コーネル。応用経済学とビジネス管理学を専攻し、卒業後はダンキンドーナツの親会社、アライド・ドメク社に入社した。しかし、野球への情熱は一向に衰えず、むしろMLB機構で職を見つけた大学時代のルームメイトの仕事ぶりが気になって仕方がなかったという。

「自分の仕事より、彼の仕事の方にずっと興味が湧いてしょうがなかった」

 ダニエルズはその友人――のちにレンジャーズで共に働くことになるA・J・プレラーの紹介で、ロッキーズでGM補佐をしていたジョシュ・バーンズ(現パドレスGM)に会い、インターン(研修生)のオファーを受ける。

「彼の野球に対する熱い気持ちが伝わり、この世界に入る強い覚悟を感じた」と、バーンズは当時のダニエルズの印象を語る。

 週給275ドル。しかし、「一生に一度のチャンスが到来した」と思ったダニエルズは、年間4万ドルの仕事を投げうって、ロッキーズでGMへの第一歩を踏み出したのである。

その後、レンジャーズのGMへと就任したものの、しばらくはチーム力を劇的に向上させることはできなかった。「失敗から多くのことを学んだ」と語るダニエルズは、どのようにしてチームを2年連続、ワールドシリーズへと導くことができたのか? セイバーメトリクス派でも、データ崇拝派でもない、若きGMの素顔に迫る――。
つづきは、雑誌「Number」796号、もしくはNumberモバイルでお読みください。
GMに学べ。~強い組織を築く10の法則~
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