青春GOLF ――石川遼に密着! BACK NUMBER
尾崎流・石川遼と青木流・松山英樹。
新時代のライバル関係に注目!!
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO
posted2011/11/23 08:02
三井住友VISA太平洋マスターズでホールインワンを決めた石川と優勝を果たした松山。ホールアウト後は握手でお互いの健闘を称え合い、表彰式でも笑顔で談笑
幼少時のふたりの心に刻まれた尾崎と青木の偉大さ。
以前にこのコラムでも紹介したことがあるが、石川がプロツアーを初めて観戦したのは2001年の日本オープンだった。その時出会ったのが「O」、ジャンボ尾崎だった。
大人たちの呼びかけを無視しながら「ジャンボさんが怖い顔して歩いてきて」、小学4年生だった自分だけにサインをしてくれた。感激して追いかけた18ホールで、力強さにあふれ、見るものを釘付けにするドライバーショットが幼心にくっきりと刻まれた。
一方、愛媛県松山市に生まれ育った松山が、初めてプロを見たのは小学1年生の冬だった。当時、球拾いをする代わりに練習させてもらっていたゴルフ場に「A」、青木功が西川哲ら他のプロや、工房などを装備した大きなツアー用バンを引き連れてクラブテストのためにやってきたのである。
データ収集を目的としたクラブテストは部外者は立ち入り禁止だ。しかし、好奇心は抑えきれず、松山は父親と一緒にこっそりと青木たちのプレーを追いかけた。
松山を魅了した手品のような“転がし”の技術。
もちろんひとけのないコースでこっそりといっても限界がある。青木と一緒に来ていた西川がすぐに松山を見つけて声をかけてきた。
「ボクはいくつ? クラブは一番何が好き?」
「ドライバーが一番好きです」と答える松山に、西川は「ドライバーもいいけどパターが一番うまくないといけないんだよ」と言い、「ボクだけだったらいいよ。ついてきて」と松山親子をコース内に招き入れてくれたのである。
間近でみるプロの技、なかでも青木のプレーは小学1年生の目にも強烈な印象として残るものだった。
世界最高峰の青木の“転がし”の技術も目の当たりにした。グリーン左のラフに外した時には、ピンまで25ヤードの距離をウエッジではなくショートアイアンで寄せていった。そのアプローチは素人目にはトップしたかと思うほど、低く勢いよく飛び出すのだが、松山が「あっ!」と声を上げた瞬間にキュッ、キュッとスピンが効いて、まるで手品のようにカップをのぞいた位置で止まるのだった。
「すごいな、これが世界のアオキかあ」
ついつい親子2人で感嘆の声を上げていた。