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田口が乗り越えた精神的な“壁” 

text by

菊地慶剛

菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi

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posted2008/06/03 00:00

田口が乗り越えた精神的な“壁”<Number Web> photograph by AFLO

 5月26日のロッキーズ戦で、フィリーズの田口壮選手が今季初の3安打を放った。4月22日に安打を放ってからずっと快音から遠ざかっていた田口選手が、5月に入り2度目の先発出場で、ようやく結果を残すことができた。それは、田口選手がメジャー挑戦後初めて経験した精神的な“壁”を乗り越えた瞬間でもあった。

 5月22~25日にヒューストンへ遠征してきた田口選手と、キャンプ以来の再会を果たした時のことだった。

 「結果は出ない上に、けが人が戻ってきて先発できる機会も減ってしまうし……。こんなことははじめてだったから」

 ずっと安打が出ない日々に、田口選手は精神的に参っていたようだ。昨年まで所属していたカージナルスでも控え選手であったが、それでもベテラン揃いの外野手を交代で休ませるため、田口選手の先発出場の機会も決して少なくなかった。しかし今シーズン移籍したフィリーズでは完全な控え選手。故障のため戦線離脱していたビクトリーノ選手が復帰してからは、5月の先発出場はわずかに2回だけ。控え選手として与えられる、ごくわずかな打席の中で結果を出さなければならない新しい環境の中で、田口選手は袋小路に迷い込んでしまった。

 実は個人的に田口選手の打撃技術、打撃理論には一目置いている。一般的にほとんどの日本人野手たちは、メジャーに来てからメジャー流の投球に対応するため苦労しているといっていいだろう。もちろん田口選手も、カージナルス入団2年目まではメジャー定着すらままならないほど苦労を重ねてきた。しかしその逆境の中から、自分なりにメジャーで通用する打撃を作り上げてきた。あまり認識されていないことだが、昨シーズンまでの成績を参考にして日本人メジャー選手の日本在籍時とメジャーの通算打率を比較した場合、日本よりもメジャーの成績が上回っている選手は、田口選手と井口選手しかいないのだ(日米の通算打率の比較だけですべてを論証することはできないが、それでもイチロー選手でさえもメジャーではオリックス時代のような他の選手とは“別世界の”打撃ができているとは言えないだろう)。

 そんな田口選手が安打から見離されてしまったのは、技術的な部分ではなく精神的な部分によるところが大きかった。チームだけでなく、自分の役割が微妙に変わる中で、自然と自分を追い込んでいってしまったのだと思う。そんな田口選手を救い出してくれたのが、45歳のジェイミー・モイヤー投手だった。ある日の打撃練習中、田口選手から相談を持ちかけたのだという。

 「こんな時は一番のベテランに聞くのがいいだろうと……。話を聞いて、自分はまだまだだと思い知らされました」

 時間にしてわずか10分ぐらいだったらしい。具体的な内容までは教えてもらえなかったが、もちろんモイヤー投手から打撃論を聞いたのではなく、思い通りに成績が残せない時にどのように精神的に対処すべきか等の助言を受けたということだ。

 自分もかつてモイヤー投手から野球に対する精神論を拝聴したことがある。佐々木投手やイチロー選手の取材でマリナーズについていた頃、30代後半になってからメジャー屈指の先発投手になったモイヤー投手に興味があり、話を聞かせてもらっていた。体格、投球ともにメジャーでは平均以下だったモイヤー投手は、ある本に出会ったことを境に(実際は本のタイトルも教えてもらっていますが、ここでは省略します)、今の自分がメジャーで通用するためには何をすべきなのか、技術以上に精神的な部分での探求を深めていき、現在の投球を確立していったという課程を丁寧に説明してくれた。偶然とはいえ、田口選手がモイヤー投手を相談相手に選んだのは、まさにこの上ない選択だったわけだ。

 「すべてが揃っているから自分はここにいるんです。もうすぐヒットが出るでしょう。いや、もうすぐヒットを打つんです!」

 自分に言い聞かせるように、笑顔で話してくれた田口選手。モイヤー選手からアドバイスをもらってからは、ようやく前向きな思考法ができるようになったと話してくれた。

 一方で、調整方法にも細心の注意を払ってきた。自分の打撃バランスを崩さないように、フルスイングは素振りだけにして、打撃練習ではフォームの確認だけを行うようにしてきた。だからこそ冒頭で紹介したように、久々の先発出場で結果を出すことができたのだ。

 5月30日のマーリンズ戦でも先発出場し1安打を放った田口選手。精神的に逞しさを増した彼の今後に注目していきたい。

*日本人メジャー選手の日米通算打率比較

田口選手

.277(日)→.283(米)

イチロー選手

.353→.333

松井秀喜選手

.304→.295

松井稼頭央選手

.309→.272

井口選手

.271→.276

田口壮
ジェイミー・モイヤー

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