チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
最高峰の試合の見方。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byAFLO
posted2007/03/27 00:00
「メッシ、ハットトリック!」
クラシコを観戦した翌日、現地を発ち、帰国してみると、メッシの活躍に日本は湧いていた。「凄いですね!」。テレビのコメンテーターは、試合のダイジェストを眺めながら、そのプレイを大絶賛した。
違和感を覚えずにはいられなかった。それはそうかもしれないけれど、だったら、その4日前、アンフィールドでリバプール相手に沈黙した事実は何だったのか。もはや昔話なのか。少なくともいま、メッシについて語るとき、重要になるのはクラシコではなくチャンピオンズリーグになる。
なにより試合の重要度が違う。クラシコも重要な試合だが、チャンピオンズリーグの比ではない。スペインNo.1の好カードとはいえ今回の場合は、お互いチャンピオンズリーグで敗退を喫したばかり。敗戦のショックに包まれた中で行われた、締まりのない霞んで見えた一戦だ。そのあたりの区別は、しっかりしておく必要がある。とりわけ、ニュースを伝える側は。
むしろ日本の場合は「凄い!」と言われるスター選手が、なぜリバプール戦で活躍できなかったのかを考えるべきだと思う。リバプールはどのようにして、メッシを押さえ込んだか。これこそが求められている視点だと思う。日本にはメッシはいないのだから。いずれ、メッシのような凄い選手と対戦する可能性があるのだから。
出るところに出れば日本は弱者だ。チャンピオンズリーグで、バルサと対戦したリバプールと、立場は似ている。そのメッシ攻略法こそ、目を凝らすべきポイントになる。「メッシ凄い!」で終わるのは、素人サイドの見方といっても言い過ぎではない。
リバプールはメッシにボールが渡ると、必ず2人がかりで詰め寄った。それでもメッシは、自慢のドリブルを仕掛けようと躍起になる。「マタ抜き」を成功させ、1人目を交わすと、アンフィールドには、瞬間、感嘆のため息がわずかながら漏れた。「敵ながら巧い!」。口にこそ出さないが、一人のサッカーファンとして、素直に脱帽する様子が見て取れた。しかし、2人連続は不可能なプレイになる。おのずと、停滞を余儀なくされる。マタ抜きされた1人目の選手も、すかさずカバーに回る。2秒、3秒、4秒……。時間は刻々と経過する。するとメッシはやむなくバックパスに及ぶ。
こんなシーンに何度となく遭遇した。メッシが、自慢のドリブルで局面を打開したシーンは皆無に等しかった。マタ抜きを決めたところで、大局にはほとんど影響を及ぼさなかった。むしろマイナスに作用するケースの方が多いほどだった。戦犯とまでは言わないが、リバプールに敗れ去った原因の一つだと考えられる。メッシは確かに巧い。だが、チームプレイの役には立っていない。シンプルにプレイするジュリが出場した方が、リバプールにはさぞ嫌だったに違いない。
凄い選手ではある。けれどもまだまだ超一流ではない。真のスーパースターは、リバプール戦のような、チャンピオンズリーグの大一番で活躍してナンボ。メッシはまだそこをクリアしていない。
帰国してもう一つ驚いたことがある。それは再放送されていた試合を見ていたときの話だ。試合はアーセナル対PSVで、結果はPSVの勝ち。番狂わせが起きた一戦である。解説者は試合を振り返りながら、こういった。アーセナルの問題は引いて守る相手に、どう対処するかです。PSVの守備的なサッカーは、あまり好きになれない、とも。
好き嫌いはともかく、PSVを引いて守るサッカーだとまとめた点には、さすがについて行くことができなかった。確かに第2戦は、アーセナルがボールを支配する時間は長かった。時間が深まるにつれ、その傾向は強まった。だが、それはPSVが引くサッカーだったからではない。アーセナルがホームだったから。基本的に強者だったから、に他ならない。
その強者に対し、弱者を自認するPSVは第1戦で思い切った作戦に出た。本来の4−3−3を4−4−2に変更して臨んだのだが、その4−4−2が滅多にお目にかかれぬスタイルだったことは、知っておくべきである。ポイントは2トップがポジションを構えた場所だ。中央付近にいる一般的スタイルとは異なり、2人はそれぞれ、左右のウインガーとして構えたのだ。つまり、PSVは強者に対してセンターフォワードを置かずに、戦ったのだ。どうやって点を取るつもりなのか。一瞬、目を疑う布陣をクーマンは大一番で敢行した。
彼は、その前に強者が嫌がることを考えた。両サイドに各3人を配置し、そこでの数的優位を活かそうと考えたのだ。強者の攻撃ルートは、自ずと中央に呼び込まれる格好になった。非効率を招いたのだ。強者は90分間、常にストレスを抱えたままだった。PSVにゴールを許した、これこそが最大の原因だ。
アーセナルはPSVの注文にまんまとはまった。クーマン采配は光って見えた。ヒディンク(前監督)ばりの奇才を発揮したわけだ。これも弱者という点で共通する日本が参考にすべき作戦である。引いて守るサッカーとの間には、著しい開きがある。
チャンピオンズリーグを眺めるとき、とかく日本人は、強者の側に立つ傾向がある。人気チームの側に立ち、人気選手を応援しながら、試合の行方を見守る。それはそれで構わないが、日本が置かれた状況を考えると、それは賢い観戦方法には映らない。せめて番狂わせが起きたときぐらい、弱者の工夫には目を凝らしたいものだ。でないと、チャンピオンズリーグから学ぶべきことは少ない。世界から遅れをとることになる。いったい我々は、何の目的のためにチャンピオンズリーグと向き合っているのか。スーパースターのプレイを鑑賞するだけの時代は、とっくに終わっていなければならないのだ。