プレミアリーグの時間BACK NUMBER
イングランド元代表監督、
故ボビー・ロブソンの「情熱と意志」。
text by
山中忍Shinobu Yamanaka
photograph byPanoramiC/AFLO
posted2009/08/17 11:30
選手としてはフルハムやウエストブロムウィッチでFWとしてプレー。問題児と言われる選手からも慕われる人間味あふれる監督だった。
選手たちは名将の本質を見抜いていた。
しかし、選手たちからの信頼は、準決勝の西ドイツ戦でTVカメラが捉えた一幕を見れば明らかだ。若かりし頃の“ガッザ”ことポール・ガスコインがイエローをもらい、チームが勝っても決勝戦でのプレーが不可能となった直後のこと。ショックを受け唇を震わせるガッザを見たガリー・リネカーは、即座にベンチのロブソンに「言葉をかけてやってくれ」と合図を送った。動揺する若者を気遣うエースが真っ先に頼りにしたのは、世間では不要扱いされていた監督だったのである。
結果的にイングランドはPK戦の末に西ドイツに敗れたが、ベスト4という成績は66年イングランド大会での優勝以降で最高のものだった。約四半世紀ぶりにW杯決勝まであと一息と迫ったロブソン一行は、「ガッザの涙」も相俟って国民の心を捉えた。90年大会があったからこそ、“フーリガン”に象徴される暴力と代表の低迷で「暗黒期」と呼ばれた80年代を乗り越えて、イングランド国民は「国技」への誇りと情熱を取り戻すことができたのだ。ロブソンは、国民の英雄の頭として母国に迎え入れられた。
医師からの勧告を無視して、ニューカッスルを救った。
その9年後、オランダの他、ポルトガル(スポルティングとポルト)とスペイン(バルセロナ)でも成功を収めたロブソンは、イングランドに戻ると、生まれ故郷の最愛のクラブ、ニューカッスルの窮地を救った(降格候補から2年連続のCL出場へ)。ここでも「情熱と意志」は相変わらずだった。既に癌の手術も経験し、医師からは引退勧告を受けていたにもかかわらず監督を続けた。さらには、恩知らずなクラブ経営陣によって、最後の監督業を解雇という形で終えることになった後ですら、“ファンとして”ニューカッスルのホームゲームに足を運び続けたのだ。
筆者が、北ロンドンでロブソンのイプスウィッチ時代の話を聞いていた頃、イングランド北部では、人々が、ニューカッスルの本拠、セント・ジェームズ・パークに集結していた。TVでその光景を目にすると、追悼に訪れる群衆の中には、老若男女はもちろん、相容れない関係にある地元ライバル、サンダーランドのユニフォーム姿の者もいた。順風満帆とはほど遠い道程ながら、持ち前の熱意と芯の強さで、誰からも敬愛される監督として、そのキャリアと生涯を閉じたロブソン。故ダイアナ妃を「国民のプリンセス」と呼んだトニー・ブレア前英国首相の言葉を拝借させてもらえば、ロブソンには「国民のマネージャー」という称号こそが相応しい。