レアル・マドリーの真実BACK NUMBER

「ホアニートの魂」。大逆転を信じさせた情報戦略。 

text by

木村浩嗣

木村浩嗣Hirotsugu Kimura

PROFILE

photograph byPanoramiC/AFLO

posted2006/02/22 00:00

「ホアニートの魂」。大逆転を信じさせた情報戦略。<Number Web> photograph by PanoramiC/AFLO

 「大逆転のために、今こそ“ホアニートの魂”に訴えるべきだ」──2月8日に行われたスペイン国王杯準決勝第1戦、サラゴサに6対1と叩きのめされた夜、カシージャスが言った。「ホアニートの魂」、なんだそりゃ??もう10年スペインでサッカーを追いかけているのに初耳だ。

 80年代にホアニートというフォワードが在籍したこと、背番号7のファイトをむき出しにする選手だったことも知っていたが、それだけ。レアル・マドリーが逆転をかけ背水の陣で臨む試合は、ここ10年でそれこそ何十試合もあったけど一度も「ホアニートの魂」なるものが口にされたことはない、と記憶する。

 急遽、公式ウエッブに掲載された紹介によると、ホアニートは77年から87年まで在籍し、カマーチョやホルへ・バルダーノ、ブトラゲーニョらとともにベルナベウでの歴史的な大逆転劇の数々を演じてきたとされる。1954年生まれながら“伝説的な存在”と言われるのは、不幸にも92年に38歳の若さで交通事故で亡くなったからだ。1983〜84シーズンには得点王にも輝いているが、81年生まれで24歳のカシージャスが、闘将ホアニートのプレーぶりを記憶し、そのファイティングスピリッツに感銘を受けた世代とは思えない。

 それにもう一つ不思議なことがあった。

 公式ウエッブに大逆転劇として紹介されているアンデルレヒト戦(UEFAカップ。敵地で0−3と敗れた後6−1と大勝。84年12月12日)、ボルシア・メンヘングランドバッハ戦(UEFAカップ。敵地1−5の後4−0と逆転。85年12月11日)、ダービー・カウンティ戦(ヨーロッパカップ。敵地1−4の後5−1と逆転。75年11月5日)のうち、肝心のホアニートが出場した試合は、ボルシア戦だけなのだ。これで「ホアニートの魂」とは、理屈に合わなくないか?その代わり、たとえば同じく闘争心の塊カマーチョは、全試合にフル出場している。40歳以上のファンに聞くと、実際、当時のレアル・マドリーをまとめていたのは、カマーチョだったという。大量点が必要な試合ではホアニートやブトラゲーニョ、バルダーノらを前に「コイントスで勝てば必ずボールを選び、必ず最初のシュートをし、最初のファールを犯す」と先制攻撃を命じたという逸話が残っている。

 「ホアニートの魂」じゃなくて「カマーチョの魂」にすべきではないか、と首をかしげていたら、実は、命名はフロントの策略であったと『エル・パイス紙』(2月14日付)が報じていた。

 同紙によると、これまで「レアル・マドリーの誇り」などと漠然と呼んでいたところを、「ホアニートの魂」とキャッチーな名前を付け、そのスポークスマンとして本来選ばれるべきだった負傷中のラウールに代わって、生え抜きのカシージャスを選んだのは、クラブのコミュニケーション・ディレクターだという。逆転ムードを高めるために、無理にラウールをサラゴサ戦の招集メンバーに入れようとしたらしいが、これは現場のロペス・カロに止められたらしい。ホアニートにしたのは、エキセントリックな性格でカリスマ的な人気があったことに加え、「カマーチョの魂」では、1年半前に監督の座を放り出した“敵前逃亡”のイメージがついてしまう、と案じたからかもしれない。

 合言葉が出来てしまえば、後はマスメディアを使って「彼らに6点入れられたのならなぜ我われに5点が不可能なのだ」(ジダン)などのポジティブメッセージを発信するだけ。「(ケガは)痛くなんかない。逆転のために全員が協力するだけだ」(グティ)、「我われ全員が逆転できると確信している」(シシーニョ)、「逆転にはファンの応援が不可欠だ」(カシージャス)などの声明がスポーツ紙やニュース、ラジオ番組で繰り返された。と同時に、手持ちのレアルマドリー・テレビジョンと公式ウエッブが総動員され、バプティスタ、セルヒオ・ラモスら現役選手の勝利の誓い、サンティジャナ、シュティーリケ、ブトラゲーニョら往年の名選手による証言と応援メッセージ、歴史的逆転劇となった試合の再現が、記事やビデオで流され続けた。

 5−0で勝つことは決して簡単ではない。データによると、レアル・マドリーが国王杯のホームゲームで5−0を最後に記録したのは1986年。103年の歴史を持つこの大会のトータルでもわずか8試合しかない。ほぼ15年に一回の椿事である。国内リーグと国際試合を含めると、フロレンティーノ会長が就任した2000年からベルナベウでの5−0以上のスコアでの大勝利は5回。1シーズンに一度の割合だ。さらに不利な材料と言えば、今回サラゴサが「5−0以上で負けなければいい」という戦い方をしてくることが予想されたこと。つまり、守備的な布陣でのぞみ、ファールや無闇なクリアや遅延行為で試合の流れをズタズタに切り、とにかく時間を浪費することもできた(実際には2トップを維持する強気なプランニングで、これがレアル・マドリーには幸いした)。

 が、こうした過去のデータを吹き飛ばすほど、大逆転ムードは高まっていた。試合前までに締め切られたマルカ紙のアンケートでは、「逆転はできると思いますか?」という問いに41%が「はい」と答えるほど。連日連夜のポジティブメッセージの雨にさらされ、選手、ファン、フロントをそのスローガンの下に一体にすることに成功した「ホアニートの魂」が、まさに奇跡を起そうとしていた。試合当日のレアル・マドリーのロッカールームでは黒板に「5−0」と大書きされ、激励文が張り出されていたそうだ。

 こうしたフロントの情報操作は初めてではない。

 昨年3月首位バルセロナとの勝ち点差が11と開き、優勝絶望論が漂い始めた時に「今こそ、マドリッド主義者が団結するときだ」、「団結こそ力だ。選手とファンは一体になるべし」、「ラウール、キャプテン、我われは勝てると信じている」などのメッセージが、練習グラウンドやベルナベウに突然出現する事件があった。“ファンクラブ”あるいは“名の知らぬ誰か”の仕業だとされたが、フロントの差し金だったことは明らか。横断幕で煽り、栄光のシーンを納めたビデオでボルテージを高め、大歓声を増幅するフロレンティーノ会長自慢のオーディオ設備で敵にプレッシャーかけるというやり方で、バルセロナとの心理戦を制しエル・クラシコに快勝したこともあった(詳しくは3月23日付『悲観から、あっという間に楽観へ』と4月15日付『ベッカムの本気を引き出したもの。』を参照のこと)。レアル・マドリーにとって情報戦はお手のものなのだ。

 そうして迎えた運命の2月14日──。この夜起こったことはもう繰り返さなくてもいいだろう。

 最初の10分間で3点をあげたレアル・マドリーは、奇跡の寸前まで迫った。5点目が入らなかったとすれば、それは悪運でしかなかった。逆転のシナリオを信じていたのは、誰よりもサラゴサの監督と選手だったのかもしれない。4−0。試合後のファンは総立ちの拍手を惜しまず、シシーニョやベッカムは泣いていた。試合に敗れて涙を流す選手を見るのは久しぶりで、正直、心が動かされた。

 レアル・マドリーはプライドを取り戻し、ルシェンブルゴ時代に生じたファンとの亀裂を埋め、改めて強さを見せつけた。情報戦の産物に過ぎなかった「ホアニートの魂」に初めて息が吹き込まれ、新たな伝説が生まれた瞬間だった。

#レアル・マドリー

海外サッカーの前後の記事

ページトップ