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大乱闘から3年。復讐か、返り討ちか。 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byREUTERS/AFLO

posted2008/05/26 00:00

大乱闘から3年。復讐か、返り討ちか。<Number Web> photograph by REUTERS/AFLO

 スイスとトルコの対戦が決まった瞬間、トルコ中が一斉に沸き立った。一方のスイス人は「やれやれ」とため息をつく。反応が両極端になったのも、無理はない。

 2005年11月、両国はドイツ・ワールドカップの出場権を懸けてプレーオフを戦った。

 初戦で敵地ベルンに乗り込んだトルコは、戦う前から怒り狂っていた。スイス人たちが、魂にも等しい国歌『独立行進曲』に盛大な罵声を浴びせ、侮辱したからだ。しかも敵の選手が試合中、トルコベンチを威嚇するような行為をした。試合は2対0でスイスに軍配が上がる。元々西欧を敵視し、憎んでいるトルコ人は敗北に深く傷つき、激怒した。国中が、「打倒スイス」を合言葉に燃え上がった。

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 第2戦でイスタンブールに敵を迎えたトルコは、それこそ国を挙げてスイスを攻撃した。

 入国管理官は長々と足止めし、手続きが終わると今度は、群集が雄叫びを上げながら敵の選手や監督を追いまわした。チームバスがホテルへ向かう途中、トルコ人が次々と行く手を遮り、生卵や石を投げつけた。

 メディアも容赦しなかった。過激さで知られるスポーツ紙『フォトマッチ』は試合当日、常軌を逸した紙面を作り上げた。1面にゲイの格好をさせたスイス人選手のコラージュ写真を大々的に掲載し、毒々しい文章で国民を煽り立てたのだ。

 「サッカーは男のスポーツだ。トルコ代表よ、オカマのように卑怯なことばかりしているスイス人を、芝生の下に埋めてしまえ!」

 だが、生き埋めにされたのはトルコだった。怒りの感情に任せてピッチに出て行った彼らは、開始直後に大失態を犯してしまう。元浦和レッズのアルパイがエリア内でハンドを犯し、PKから先制されてしまった。

 勝つためには最低でも4ゴールが必要になり、トルコは捨て身の反撃に出る。トゥンジャイ、トゥンジャイ、そしてネジャーティ……。次々とゴールが生まれ、スタジアムは興奮の坩堝と化した。だが、一歩及ばなかった。第2戦を4対2で勝ち、合計4対4としたものの、アウェーゴールの差でスイスにドイツ行きの切符を攫われてしまうのである。

 絶望したトルコの選手は、終了の笛が鳴ってピッチから逃げ出したスイス人を追いかけ、殴る蹴るの狼藉に及んだ。この野蛮な行為は国際社会から非難されたが、トルコは大人しく引き下がろうとはしなかった。それどころか、「敗戦はスイス人のブラッターを会長に戴くFIFAの陰謀である」と断じたのだ。結局、公式戦のホームゲーム3試合を中立地で、それも無観客で行なうという厳しい制裁がトルコに下された。

 あれから2年が経った昨年末、イスタンブールを訪れ、市民にスイスとの再戦について尋ねてみた。

 エジプシャンバザールで香辛料を売るセズギンは、こんなふうに語っていた。

 「あのとき僕らが負けたのは、ベルンでひどい仕打ちをされて、怒りに我を忘れてしまったからなんだ。“すぐに怒ると自分に災いが降りかかる”という諺がトルコにはあるけど、まさにそれ。冷静に戦えば、次は大丈夫だ」

 多くの人々が、イスタンブールの破滅から教訓を得たと口々に語った。

 もっとも、「雀百まで踊り忘れず」ともいう。本番ムードが高まる前は、トルコ人も落ち着いていられる。肝心なことは、あの憎きスイス人で埋め尽くされた競技場で、あの忌まわしいスイス国歌を耳にしても冷静でいられるかどうか、だ。愛国心の塊で、直情的なトルコ人を見ていると、冷静さを保つのは至難の業とさえ思えてくる。賢いスイス人は3年前の屈辱を思い出させようと、あの手この手で挑発してくるに決まっているのだ。

 トルコが復讐を成し遂げるのか、スイスが返り討ちにするのか。いずれにしろ、刺激に満ちた90分になるだろう。

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