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平山相太は覚醒するか。 

text by

槙野仁子

槙野仁子Yoshiko Makino

PROFILE

posted2007/08/09 23:58

 '03年の国見高3年生時。平山は飛び級でU-20日本代表に選ばれ、ワールドユース(UAE)に出場した。1次リーグのエジプト戦。ハードアタックをしかける相手に劣勢を強いられる中、後半途中から出場すると、長身を生かしたポストプレーで攻撃の起点になり、ついには相手DF、GKをもかわす妙技で 79分に決勝点を決めた。続く決勝トーナメントの韓国戦でも前線にボールが収まらない状況の中、投入されると、3、4人がかりで囲みに掛かる韓国DFを相手にひと時もボールを失うことなく、105分、空中戦に競り勝ち坂田大輔のゴールを演出してみせた。

 190cmと日本人離れした体格を持つ平山の活躍に、日本サッカー界は大いに賑わい、この彗星の如く現れた『怪物』に明るい未来を重ね合わせた。

 「高さとか通用する部分もあった。試合に出たらゴールを決めたいです」

 何も恐くはない。あるのは世界との腕試し。平山自身の目もきらきらと輝いていた。

 その後も、高校選手権では国見高を優勝へと導き、筑波大進学後はアテネ五輪代表入りを果たした。そして、'05年には自身2度目のワールドユース(オランダ)を経験し、同年8月、オランダ1部リーグのヘラクレスに入団。平山は海を渡った理由をこう語る。

 「日本では自分と同じ体格の人は少なくて、どんなにブロックしても、ポジショニングをとっても、ちょっとプレーが出遅れてもなんとかなってしまって。でも、世界の選手を相手にしたら、ちょっとしたミスで、もうフォローもカバーもできなかった。だから、もっと高いレベルで、海外でサッカーがやりたいって強く思うようになったんです。それで、オランダでのワールドユース後に代理人に話してみたら、ヘラクレスが来ないかと言ってくれていると聞き。海外でやりたい思いは強かったから、すぐに行こうと」

 だが、海外での生活は平山が想像していた以上だった。

 「今思うと、『準備』は大事だと。あの時は、海外でサッカーがしたいという勢いのまま行ってしまった。英語は少し話せたけど、言いたいこと全部は話せなかったし、運転免許証も持っていなかったから練習後や休みはずっと家にひきこもってました。DVDを観たり、食事もひとりで作ってすませたり」

 ひとりの時間は長く、寂しさのあまり、日本にいる友人、知人に何度も電話をかけていた。月の電話代は10万円を越えた。

 国見高の先輩で、FC東京でともにプレーする徳永悠平は当時の平山をこう振り返る。

 「何度か電話がありましたよ。そのたびに『さみしいっす』、『帰りたいっす』って。あれはそうとうホームシックでしたね」

(以下、Number684号へ)

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#平山相太

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