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川口能活 これからも戦いは続く。 

text by

山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

PROFILE

posted2006/07/12 00:00

 前半34分、玉田圭司のシュートが、ブラジルのゴールに突き刺さった。喜びを爆発させる玉田に、チームメイトが次々に駆け寄る。

 まさにその時、川口能活は、中澤佑二と坪井慶介の両CBにアドバイスを与えていた。体の前で両手を広げながら、冷静な口調でこう告げたのである。

 「落ち着いていこう」

 決勝トーナメント進出に一縷の望みを託して臨んだ、グループリーグ最終戦。川口が、今まで以上に闘争心を掻き立てられていたことは言うまでもない。にもかかわらず彼は、あえて「柔」のアプローチを選択した。

 ブラジルの攻撃は熾烈を極めた。ロナウド、ロナウジーニョ、ロビーニョらが顔を揃える攻撃陣は、同点に追いつくべく波状攻撃をかけてくる。前半、川口は6回ゴールをセーブしたが、うち5回は危機一髪の場面でのセービングだった。だが彼は味方のDF陣に「しっかり守れ!」と怒鳴る代わりに「心配するな。大丈夫だ」と声をかけた。その姿は、かつてポーツマスでプレーしていた頃の様子を思い出させるものだった。リザーブチームに回された川口は、経験の浅い若い守備陣に、“Calm!”(落ち着け!)と指示を送り続けた。海外での経験を通して、「キーパーには人間的な大きさも必要だと痛感した」という川口は、大きなプレッシャーにさらされている時にこそ、冷静に試合を進めていくことが重要になるという認識を持っていた。

 もちろん、それは弱気になっていたということではない。オーストラリアとの初戦を終えた翌日、クロアチア対ブラジル戦をテレビで観た川口は、次のように語っている。

 「ブラジルが強いのは、有名選手が揃っているからでも、あの黄色と緑のユニフォームを着ているからでもない。チームの全員が、最後まで『絶対に点を取って勝つ』という信念を持ってプレーしているからだ」

 川口は「気持ちの上では絶対に負けちゃいけない」という覚悟でブラジル戦に臨んでいた。攻められるのは端から承知の上。敵の猛攻を凌いで、数少ないカウンターのチャンスをものにするというゲームプランに狂いはないはずだった。事実、前半ロスタイム、ロナウジーニョのパスをシシーニョが中に折り返し、ロナウドが至近距離からフリーでヘディングを決めたときでさえ、川口は両手を叩いて味方を鼓舞した。

 後半に入ると、試合は一気に動き始める。日本よりもはるかに気合の入った状態で登場したブラジルは、後半8分に逆転ゴールを決める。ジュニーニョの放ったミドルシュートは、意思を持っているかのように軌道を変え、日本のゴールネットを揺らした。

 「あんなシュートは、今まで体験したことがなかった」と、川口は振り返る。

 「キャッチしようとした瞬間、ボールがフッと沈んだんですよ。最初から体に当てるつもりなら防げたかもしれないですけど、当然キャッチできるコースだったし、あれはもう、悔やんでも仕方がない」

 GKには、防ぎようのない失点というものがある。できないことに腹を立てるのではなく、できることを精一杯やる。川口のスタンスはゲーム終盤、ブラジルがさらに2点を加えても変わらなかった。

 そんな彼が一度だけ血相を変えた場面がある。残り時間も5分を切った頃、フィードしたボールがバックパスとなってそのまま戻ってくるのを見た川口は、これまでにないほど激怒した。おそらく「諦めずに攻めろ!」と言いたかったに違いない。しかし過去2戦同様、ほとんどのチームメイトは、相手との点差が開くにつれて闘志を失っていった。

 川口は語る。

 「ブラジルは強かったですよ。特に“心”がね。(日本が)守るべきところを守れず、攻めるべき時に攻め切れなかったのは、選手個々のメンタルに問題があったように思う。チームとしてワールドカップで勝つにはどうすればいいのか。難しいテーマですけど、4年後に向けて、再び挑戦権を勝ち取るために努力しながら、その答えを見つけ出したい」

 ブラジル戦終了後、川口はイギリス人記者から、こう尋ねられた。

 「今回の活躍で、また海外からオファーがあるかもしれませんが、どうしますか?」

 川口から返ってきたコメントは、海外への憧れを口にするのではないかという安直な期待を一蹴するものだった。

 「今はそんなことを考える時じゃない。疲れた心と体をしっかりと休める。それが、次の戦いに向けて自分がやるべきことですから」

 日本が誇る守護神は、ドイツの地で4年間の集大成を披露した。しかし、W杯で勝利を味わうという目標は達成できなかった。ジーコジャパンの一員としての戦いは終わっても、川口自身の戦いは終わらない。

川口能活
ジーコ

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