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山本“KID”徳郁「本能とインテリジェンス」 

text by

城島充

城島充Mitsuru Jojima

PROFILE

posted2006/01/26 00:00

 半身になって距離をとり、変則的なリズムで動いてきた須藤元気が右ストレートを打ち込もうと初めて正面を向いた瞬間だった。

 自ら口にした《神の子》という呼称がすっかり定着した山本“KID”徳郁はヘッドスリップでパンチをかわすと、鋭く踏み込んで右の拳を振った。

 小さくて薄いグローブがとらえたのは、左耳の後ろあたりだったか。須藤は仰向けに倒れた。KIDはさらに拳をたたき込んだが、最初のカウンターでHERO'Sミドル級王者決定戦の覇者は決したと言ってもいいだろう。

 《本能のKID》対《戦略の須藤》。決勝に勝ちあがった2人の格闘家を、メディアはわかりやすい対立軸でとり上げた。

 KID自身、テレビのインタビューで「作戦はなし。リングにあがったら感性で動いて倒すだけ」と答え、須藤も「KIDさんの分析はおわりました」と、その構図に自らのイメージを流し込んできた感もあった。

 KIDの戴冠を報じる元旦のスポーツ紙に《本能の一撃》《野性の本能がトリッキーな動きのスキをついた》という活字が躍ったのも当然かもしれない。

 だが、本能だけで、あの一撃を語れるだろうか。

 須藤が右ストレートを打ったあの時、KIDがコーナーを背負っていたのはおそらく偶然ではない。

 レスリングの申し子のような格闘家がなぜ、拳を最大の武器に総合格闘技の頂点まで駆けあがることができたのか。

 その理由はすべて「神の子」という発言にくるまれてきたが、そこにはもちろん、必然とプロセスがある。

 レスリングでシドニー五輪代表の座を逃したKIDが、修斗でプロデビューしたのは2001年3月。その少し前、深夜のボクシング中継にチャンネルをあわせたKIDは「なんか、違うな」。そんな印象を抱きながら拳だけの攻防を見つめていた。

 その違和感は、ボクシングジムの門を叩いていっそう明確になる。

 「もっとスタンスを狭くして」

 「脇をしめて、ガードをあげろ」

 5歳の時からミュンへン五輪代表の父、郁栄(日本体育大教授)にたたき込まれたレスリングの動きが体に染みこんでいるKIDには、ボクシングのセオリーはしっくりこなかった。レスリング特有の広いスタンスのままでもパンチを打てる自信はあったし、ガードをあげると、総合では容易にタックルされてしまう。

 そんな時だった。

 KIDは一本のビデオを見た。映っていたのは、これまで常識とされた概念をことごとく破壊し、ボクシング界を震撼させていたナジーム・ハメド。《悪魔王子》と毒のあるニックネームで呼ばれるフェザー級の世界チャンピオンだった。

 ともかく、入場シーンから破天荒だった。炎の中から登場したり、ゴンドラや空飛ぶ絨毯にのって花道へ。ヒップホップ系の音楽にあわせて派手に踊りながらリングへ向かう。

 身長は160cmと小柄でも、そのボクシングは鮮烈だった。基本的にはノーガード。上半身がゴムのように柔らかく、相手のパンチはスウェーや低いダッキングでかわす。広いスタンスから相手のサイドに回り込んだかと思うと、死角から一気に飛び込んで右アッパーや左ストレートを放つ。教科書どおりのコンビネーションは打たず、全身のバネを利かせて放つワンパンチでほとんどの試合を終わらせてしまう。

 何試合かのダイジェストを見た後、KIDは直感した。

 「なんだこいつ、レスリングしてるじゃん」

 その3年後、テレビの解説席に座ったプロボクシングの元世界チャンピオン、畑山隆則のつぶやきは全国に流れた。

 「KID選手は……ハメドみたいっすね」

 イエメンからの移民2世で英国・シェフィールドで生まれ育ったハメドにレスリングの経験はない。7歳の時、ブレンダン・イングルという老トレーナーのジムでボクシングを始め、11歳からアマチュアで活躍している。

 だが、特筆すべきは、セオリーを砕くことに情熱を注いだイングルがジムのフロアに大きな円を描き、練習生たちはその円の上を回りながらパンチをかわす練習を繰り返していたことだ。「小さい頃からオヤジに360度の動きはずっと言われてた」というKIDとの共通点はまず、この円運動にある。

 実際、ハメドは囲い込むようなステップで相手をコーナー、あるいはロープへ追い込んでいく。独特のリズム感と驚異的なスピードで円を描きつづけるから、相手がパンチを出した時、そこにハメドはいない。

 ボクシングと総合格闘技を同じ土俵で語ることはできないが、「立ち止まったら、いきたいときに同じ方向にしかいけない。円を描いたら360度どこからでもチャンスを狙える」というKIDの述懐は、ハメドのボクシングと根底で一致している。

 父の郁栄は、畑山の言葉を聞いてから初めてハメドのビデオを見た。

 「確かに似てるって思ったねえ。レスリングと同じ円運動をしていて、上下左右斜めどこからでもチャンスを狙ってズバッと直線的にはいる。ノリ(KID)も同じことができる。いくらレスリングをやってたからって他の選手にはできない。5歳の時から格闘技のセンスを磨いてきたノリだからできる」

 大学入学後にバスケットからレスリングに転向、4年で全日本選手権を制覇した天才肌のオリンピアンは「ノリのスタイルには『俺は小さいけど一発ででかい奴を倒してやる』という美学がある」とも言う。

 「そのために、ノリは相打ち覚悟で飛び込むんです。強いパンチを打つには、足のつま先から拳までが一本の刃になるような形で飛び込まないといけない。アゴがあがることを不安視されることもありますが、相手より100分の1秒でも踏み込みのスピードが速ければ相打ちのタイミングでも必ず先にあたる。ノリは頭と感性でそのことを理解しているから、あのパンチが打てるんです」

 修斗で磨かれたKIDの拳が注目されたのは、'04年2月の村浜武洋戦だった。初のK-1参戦にもかかわらず、KIDはトーナメントの優勝候補を2ラウンドでKOした。パンチの角度やタイミング、リングを支配する独特の存在感。ハメドに重なる「異端」の衝撃が、格闘技界に走った。

 「常識なんて誰かが作ったもの。ノリは一発ですべてを破壊してしまう」

 修斗時代のKIDを指導した朝日昇(元修斗ライト級王者)は、村浜戦を見て改めてそう思ったという。

 「ハメドもそうでしょうが、何かを感じないと『異端』は生まれない。KIDには生まれつき、そのセンサーがあるんです。自分に必要なものだけをどんどん吸収していく。作られた型ではないという意味では、確かにノリのスタイルは本能的。だから、どこまで強くなるかわからない」

 ハメドの出現以後、よく似たスタイルで闘うボクサーが次々と現れた。だが、「異端」の上っ面をなでただけの「模倣」はすぐに消えていった。同じスタイルを身につけたはずのイングル門下生のなかでさえ、ハメドの領域に近づいたボクサーはいない。

(以下、Number645号へ)

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