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宿沢広朗 「言葉の力で革命を」 ~名監督の原点・ラグビー日本代表監督時代~ 

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永田洋光

永田洋光Hiromitsu Nagata

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photograph byHirotsugu Okamura

posted2009/10/27 10:30

宿沢広朗 「言葉の力で革命を」 ~名監督の原点・ラグビー日本代表監督時代~<Number Web> photograph by Hirotsugu Okamura

試合後、記者を前にした宿沢の第一声は「お約束通り、勝ちました」だった

金星を呼び込んだのは、情報分析力と伝達力だった。

 しかし、金星は単なる偶然で生まれない。

 状況を冷静に判断し、すべきこととすべきではないことを峻別して的確な手を打たなければチャンスはついえる。宿沢には、勝利を必然のものにするためにうってつけの行動力と、それを支える資質が備わっていた。

 卓越したコミュニケーション能力。

 乱暴にくくってしまえば、それが宿沢広朗という名将を支えた資質だった。

 '89年に代表に抜擢され、デビュー戦で金星に貢献した中島修二(NEC/元日本代表テクニカル・スタッフ)は、宿沢のコミュニケーション能力が発揮されたのはビデオを使ったミーティングだった、と振り返る。

「スコットランド戦の前に、合宿で宿沢さんがスコットランドのビデオを見せてくれた。画像処理ソフトがない時代だから、早送りと巻き戻しを繰り返しながら、要所要所で『このシーンを覚えておけよ』とレクチャーされた記憶があります。試合前日にも、『スコットランドの秘密練習を見てきたけど、明日はFWでガンガン来るぞ。しっかり密集のサイドを守れ』と指示された。ビデオによる分析や相手の秘密練習の偵察は、今ではもっとシステマティックに発展していますが、そういう考え方を最初に取り入れたのが宿沢さんでしょう。そして、何よりも指示が明快で、情報の説明の仕方が上手かった」

 宿沢が、秩父宮ラグビー場を見下ろす伊藤忠商事本社ビル15階のオフィスからスコットランドの秘密練習を覗いたのは有名な伝説だが、そこで得た情報は的確に選手たちに伝えられた。中島には、主力のイアン・パクストンを徹底マークするよう指示がくだされ、中島はそれを忠実に実行した。

選手への細かな気遣いが、チームへの忠誠心を育む。

 中島の手元には試合の直後に宿沢から受け取った手紙が保管されている。控え選手も含めた22名に送られたワープロ打ちの手紙の余白には、宿沢の自筆で以下のコメントが添えられていた。

〈スコットランド戦のヒーローNo1と思っています。素晴しいタックルでした。ビデオを見るたびに感心しています。今後もますますプレーをみがいて下さい〉

 こうした気遣いが選手にチームへの忠誠心を生じさせ、宿沢ジャパンと呼ばれる集団が誕生した。チーム内のコミュニケーションは監督・コーチ・選手といった垣根を越えて活性化し、その分、細かい情報までがチームのなかで共有されたのである。

(続きは Number739号 で)

宿沢広朗(しゅくさわひろあき)

1950年9月1日、東京都生まれ。熊谷高校を経て'69年早稲田大入学。1年生からレギュラーで活躍し、'70~'75年は日本代表に選出。キャップ数は3。卒業後は住友銀行(現三井住友銀行)入行。'89~'91年に日本代表監督を務め'91年W杯に出場し、W杯初勝利を挙げる。'06年心筋梗塞のため逝去。勤務先の肩書きは取締役専務執行役員だった

監督入門。時代を変える13のリーダー論

Sports Graphic Number 739

監督入門。
時代を変える13のリーダー論

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