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中京女子大学レスリング部――伊調千春、吉田沙保里、伊調馨
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
posted2004/08/12 00:00
隣の喧騒とは対照的に、静かな、静かな練習だ。でも見ているうちに、彼女たちがどれだけ鍛えあげられているかに気づく。ストレッチのあと、片足でケンケンをしながら、マット沿いに円を描いて跳んでいくメニューが始まった。これが、いつ終わるんだろうというくらい続くのだ。ゆうに10周は超えただろうか。並大抵の筋力ではない。さまざまな競技の練習を見てきたけれど、これだけでも、こなせる選手は絞られるんじゃないだろうか。
ときに笑顔が見えながらも、緊張感がみなぎる。いつしか、練習に魅入っていた。
「練習はね、昔に比べれば厳しくはやってないよ。追い込む日は追い込むけど」と、監督の栄和人は言う。
中京女子大学に、大学初の女子レスリング部が創設されたのは、1989年。その7年後に、栄和人は監督として迎えられた。
栄は、'88年のソウル五輪に出場後、指導者の道へ進んでいた。企業チームの京樽などで指導に当たっていたが、中京女子大の谷岡郁子学長の「高校大学7年一貫計画で」と誘いを受け、監督に就任することを決意した。
就任前の中京女子の実績といえば、すでに栄和人の妻となっていた坂本涼子が世界王者になったことがあるくらい。栄が来たときは、部員数も片手で数えるほどだった。
栄は、「まず実績をあげて知名度をあげる。そうしないと力のある選手も入学してこない」と、その数人を鍛えに鍛えた。
「よくあそこまでやって、誰も辞めなかったなと思う。今の子だったら辞めているかも」
そのかいもあって、彼女たちはトップクラスの選手へと成長する。
栄の狙い通り実績は人を呼び、入部する選手の数は増えていった。しかもジュニア大会で実績をもつ選手たちである。
「こりゃ本格的にやらないかんと思って、マンションを買った。自分と女房子供が暮らせて生徒もいられるよう、4LDKのマンションを買って、2人ひと部屋で住まわせて。女房は生徒の飯作るわ、コーチもやる、子育ても。女房、一生懸命やっていました。ともかく、そうやって私生活も全部、すべてにおいて僕が入り込んで生徒を見たんですね」
選手の増加に伴い、私費で一軒家をさらに購入する。今では部員28名、大学周辺に3軒の寮を構える。栄養学科の学生が、夕食を用意してくれるようにもなった。
クラブは順調に大きくなっていった。その裏では、こんなこともあった。