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ギラつく雌豹軍団。成田郁久美、竹下佳江が明かす大躍進の秘密 

text by

吉井妙子

吉井妙子Taeko Yoshii

PROFILE

posted2004/06/03 00:00

 熱気と喚声と興奮がぎっしり詰まった会場が、一瞬静かになった。息を殺した1万人の目が、サーバーの佐々木みきを凝視する。佐々木はゆったりとした動作で天井高くトスを上げ、ボールをめがけて鋭くジャンプした。空中で弧を描いた身体が、ボールを激しく弾く。スピードに乗った白球は誰の手にも触れることなく、相手コートに突き刺さった。

 会場が弾けた。コート内に歓喜の輪が生まれる。吉原知子は安堵の笑みを浮かべ、栗原恵、大山加奈、木村沙織の十代トリオは笑顔を爆発させた。観客も選手もスタッフも、欣喜雀躍する中、成田郁久美は顔を覆った。高橋みゆきと杉山祥子は抱き合い、しゃくり上げた。そして、竹下佳江は溢れる涙で顔を歪めた。

 女子バレーが韓国を3-0で下し、悲願だったアテネ行きの切符を掴んだ瞬間だった。

 この時、テレビの視聴率は48%を記録した。

「うーん、あの時の記憶がまだ戻っていないんですよね。第3セットの24-15までは何となく覚えているんです。24点目は大友(愛)にブロードを打たせたんですよね。でも、『あと1点で終わる』と思った瞬間、鳥肌が立ってしまい、無意識に涙が溢れた。トモさん(吉原)やイク(成田)さんが『攻めるよー』とか『集中しよー』とか叫んでいるのが耳に届いて、自分に『ダメダメ』と言い聞かせていたんですけど、どんな形で25点目が入ったのか、全く思い起こせないんです」

 世界最終予選が終わって2日後、セッターの竹下は、はにかみながら言った。

 リベロの成田は、竹下とは反対にマッチポイントを迎えた時、自分でも驚くほど冷静だった。佐々木のサーブを韓国の誰が切り返してきても、すべてチャンスボールに出来ると思えるほど、感覚が研ぎ澄まされていた。

「私たちは、4年前の最終予選の時、1点で切符を取り逃した。その1点が私のトラウマになっているんです。誰もが、24-15であれば絶対に勝てると思う。でも私は、あと1点というスコアが信用できないんです。だから、ビンビンに集中していたし、韓国の選手の心理も手にとるように読めていました」

 コート上で涙を流した竹下、成田、高橋、杉山は、4年前の世界最終予選でシドニー五輪の切符を取り逃した選手たちだ。クロアチア戦で2セットを先取した全日本は、あと1セットを取れば五輪出場の切符が取れるという4セット目の21-17から崩れてしまった。切符が目の前にちらついたのが原因だった。しかし、あの4年前の経験をこの試合に活かせたと成田は言う。

「4年前のことはこの最終予選で一度も思い出すことはなかったんですけど、韓国戦で2セットを取り、10分間の休憩に入った時に突然フラッシュバックしたんです。クロアチア戦の時もこの10分間で気が緩み、3セット以降を逃してしまった。今回も韓国から2セットを奪い、あの時と同じような展開だった。その経験があったからこそ、高いテンションのままで3セット目を迎えられたんです」

 屈辱のシドニー五輪最終予選後、2人は「こんな苦しいバレーはもう出来ない」と、バレー界から去った。成田は北海道に帰り、運動具メーカーの営業をしながら子供たちにバレーを教え、結婚もした。竹下は、ハローワークに通い再就職する寸前でバレーを諦めきれない自分に気づき、復帰した。成田が続ける。

「私は泣くつもりなんかなかったんですよ。でもテン(竹下)の涙を見て、もらい泣きしちゃったのかも知れない。あの子もこの4年間辛かったんだなあ、って。シン(高橋)もスギ(杉山)も同じ感情だったんだと思います。この思いって、4年前にコートに立っていた人間にしか分からないと思う」

 竹下は、辛かった記憶が甦ったというよりはむしろ、この4年間で自分が変れたことがトス回しに現れ、その結果が勝利に結びついた嬉し涙だったと照れる。

「特に、イタリア戦や韓国戦では、トスを上げながら『いいぞ、いいぞ』という感覚が生まれたんです。これまで何千回、何万回とトスを上げてきたけど初めての経験でした。すべて思った位置にトスを上げられたというか、手のひらの感覚にピタッとボールがはまる感覚というんですかね。自分でいうのもおこがましいですけど、この世界最終予選で自分がもう一歩前に進めたという実感はあります」

 竹下個人だけでなく、ワールドカップ以降、全日本は確実に二回りほど大きくなった。センター大友の新規参入、17歳の木村の成長、戦法の複雑化などがその理由だが、なかでも成田の加入が大きかったと竹下は言う。

「コート内で時間がゆっくり感じられたんです。だから思い通りのトス回しが出来た。イクさんのキャッチが正確だから、ほんの1秒の違いかもしれないですが、その間に相手ブロックも見られるし攻撃のアイディアも浮かんだ。加えて、後ろから正確なコーチングもしてくれるので、トスに集中できましたからね。イクさんが加入したことによって、チームにまた厚みが出たのは事実だと思いますよ」

全日本の可能性を広げた柳本の2ポジション構想。

 2月末に最終予選の組み合わせ抽選会が行なわれた時、全日本監督の柳本晶一は、初戦のイタリアに勝てるようなチームを再編成しようと考えた。ワールドカップでは、歴代の全日本女子バレーとは違う選手主体のチームを作り、日本より格上だった韓国、ポーランド、キューバを接戦の末下し、長く低迷していた女子バレーの人気と実力を復活させた。しかし世界の4強である中国、ブラジル、米国、イタリアには歯が立たなかったのも事実だ。最終予選で対戦するイタリアを打ち負かすようなチームを作ることが出来れば、アテネ五輪でのメダルも夢ではないと柳本は思った。

 柳本が、チームを作る上で最も神経を尖らすのはメンバー構成である。ワールドカップ4敗の反省から、レシーブ力の強化とセンター線の厚みが必要と考えていた。そのためには新たに、レフトプレイヤーながらレシーブに定評がある成田と、レシーブ力もあり男性並みのスパイクが打てるセンターの大友の力がどうしても必要だった。特に成田はアトランタ五輪も経験しており、主将吉原の負担を軽減するためにもうってつけの選手だった。

 しかし、成田はこのオファーに戸惑った。2年間のブランクを経て昨シーズンのVリーグから復帰したものの、新婚だったこともあり家を空けることに抵抗があった。しかも、全日本の合宿は3月初旬から。合流すればアテネ五輪が終わる8月までほとんど家に帰れない。延ばしていた結婚式を3月末に予定し、すでに披露宴の通知も出していた。断ろうかな、とも思った。

 しかし新婚の夫と一緒に、ただの一ファンとしてテレビ観戦したワールドカップで大きな衝撃を受けた。吉原をはじめメンバーはほとんど知っていたが、画面から伝わってくる彼女たちは以前の彼女たちではなかった。全日本の雰囲気が、20歳で出場したアトランタ五輪の時とも違う。自分が中心になって闘ったシドニー五輪最終予選の全日本の匂いとも異なっていた。みんな伸び伸びとプレーし、そして大事な場面で崩れない強さを身につけている。何より、3年前まで同じチームで苦楽を共にした竹下、高橋、杉山のプレーが明らかに巧くなっているのに驚かされた。

 眠っていたアスリート本能が疼く。

「でも、柳本さんからは絶対に来てくれというのではなく『来るの? 来ないの? どっち?』という軽いものだったんです」

 ポジションも決まっていなかった。柳本は最終予選に当たって、2ポジション制を選手に強いた。イタリアのIDバレーに対抗するには、データにないようなプレーをする必要があったからだ。サイドアタッカーでもセンター並みにブロックをこなし、レシーブの正確性も求めた。センターもレシーブとバックアタックを練習した。それでも、レフトやセンター、ライトなどメインのポジションが決まっている選手はまだいい。ワールドカップの時はワンポイントリリーフだった木村と新加入の成田は、レシーバー、ライト、レフトと日替わりメニューのようにポジションが変った。

「4月の頭ぐらいから、柳本さんに徹底してワンマンレシーブをやらされましたよ。リベロをやるかどうかは別にして、私がレシーブをやらなきゃならないのは分かっていたけど、その一方で『こんなにきつい思いをしているのに、最終的に落とされたらやだな』という思いはいつもどこかにありましたね」

 成田の両腕は紫色に変色したが、厳しい練習にはすぐに慣れた。4年前の最終予選の時は、両足に4箇所の疲労骨折を抱えながら、痛み止めを注射しつつ頑張り通した。その精神が甦った。しかし、いつになってもポジションを与えられなかったのは辛かった。柳本監督は、試合直前にならなければスタメンを決めない主義というのは聞いてはいたが、初めて経験するチームの生き残り競争の神経戦に、成田は音を上げそうになった。

(以下、Number603号へ)

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