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島のバレー少女が、アテネのコートに立つ日。 

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posted2004/08/26 22:33

 緑色のこんもりとした島々が、瀬戸内海にポコポコ浮かぶ。そのひとつが、人口約2万人の能美島だ。中学2年生になるまで、メグを育んだ島である。

 広島湾から高速艇で30分足らず。名産は牡蛎の養殖と菊とスイートピー。電車もないし、夜は真っ暗。島の人たちはみな顔見知り。のどかなところである。いつもならば― ――。

 オリンピック開幕に先立つこと2週間。

 栗原恵壮行会を翌日に控えて、島は浮き足立っていた。船着き場を出るなり目に飛び込むのが、町役場にかかる垂幕の数々だ。

 「アテネで☆輝け☆-めざせ金メダル」

 「プリンセスメグ-栗原恵さん」

 テレビ局がつけたキャッチフレーズを拝借して応援する島の後援会。しかも黄色いハートつき。以前からある看板「海の恵み― 命の輝きあふれる能美町」は肩身が狭そうだ。

 島を走るタクシーには、どのドアにも「祝アテネオリンピック出場― 栗原恵さん」の文字がデカデカと躍る。

 「栗原さんちの恵ちゃん、今や全国区じゃけんなあ」。困惑しつつも嬉しそうな運転手さんに、壮行会の会場へ連れて行ってもらう。いつもは町の会合に使われる会場は、準備に追われピリピリしていた。

 「あんたら何しに来たん?」。現場責任者のおじさんが、早速、チェックを入れてくる。

 「栗原恵を島から無事に送り返すのが、主催するわしらの使命じゃ。たとえばそこのトイレに熱烈なファンが隠れていて、恵さんを襲ったら……警備員を300人配置したとしてもかなわん」。説教するはずが、頭を抱える責任者のおじさん。島はじまって以来の大イベントを前に、軽い妄想が入っているような。

 だが、笑いごとではない。最近、メグがお忍びで島に帰ってきたときのこと。島へ向かう船上、大変な騒ぎが起きたらしい。以来、メグは船で帰れなくなってしまったという。

 一方、メグの帰りを待つ実家は台風の目のごとく静かだった。隣は畑、裏はミカン山。長い廊下から現れたのは、メグのおばあちゃんだ。「暑かろう」とブルーと桃色のアイスキャンデーをくれる。

 「小さいころのメグか?― 海水浴が好きで、夏は煤(すす)みたいに真っ黒焦げじゃった。小学校から帰ると、飼ってる小鳥と遊んでからピアノや習字をしとった。学校の成績もよくてな」。目を細めて昔話をしつつ、「ちょっと待ってな」と奥に戻り、オロナミンCとコーヒー飴をすすめてくれる。

 「裏山のミカンは、おつかいものにな。バレーでお世話になった先生に送り続けてるけん」

 でも、全日本の柳本監督になってからは気後れしてか、まだ送っていないらしい。

 「三田尻(高校)に行っても、泣き言も言わず。あの子は偉かろう?― 手紙もよくくれたな。おばあちゃん、大好き。長生きしてね、って。ハートに赤い斜線をひっぱってな」と涙ぐむ。帰り際には、何度も手を合わせて見送ってくれる。

 厳しい練習も頑張った三田尻女子高校時代。なんとメグは小誌の巻頭ページを飾っていた。その貴重な写真を撮影したカメラマンは、島での再会に心躍らせる。

 「ショートカットがかわいくて。制服姿で撮って正解だったなあ」

 メグにまつわるエピソードは、島のあちこちに残っている。父・孝治さんは元日新製鋼のバレー選手で、母・厚子さんが活躍するママさんバレーの監督だった。「恵は0歳の頃からボールで遊んでましたよ」(孝治さん)。ボール入れが揺りかごがわり。両親にくっついてバレーに親しんで育った。

 孝治さんのスパルタ指導(!)を受けた島のママさんによると、「メグちゃん、うちらの球拾いしてくれた。実家の庭では孝治さんとボールを打ち合っとった」。小4になると念願叶ってバレー部に入部。「たまにピンチヒッターで試合に出てくれたけど、私らに遠慮しとったな」(ママさん)。小6では孝治さんが監督を務めたが、わが子には、ことさら厳しかった。

 「メグちゃん、背高いけん、職員室のドアの上にぶつかりそうじゃった」とは能美中学校の先生。バレー部では、ボール扱いに慣れてるけど、大器の片鱗はまだ見られなかった。そんななかメグは、バレーがうまくなりたくて、姫路の中学への転校を決意した。中2で大好きな家族と別れるなど想像もつかないが。

 「行っても後悔、行かなくても後悔、でした」

 当時を振り返るのは、母・厚子さん。

 「行くと厳しくて後悔するし、行かないと行っておけばと後悔しますから」

 ビックリしたのは、一緒に「もののけ姫」を観たり、カラオケ、プリクラで遊んでいた中学のバレー部同級生だ。「島を出る前日まで黙っていて。でも、気を遣わせないようにするところがメグらしいよね」。頷きあう彼女たち。「急遽お別れ会が開かれて、男の子のバンドがGLAYのBELOVEDを演奏してた。有名になったらいけんけん、みんな通学ヘルメットやカバンにサインをもらってた」。でも、本当に有名になるとは誰も思っていなかった。

 翌日、中学2年生のメグは島を出た。

(以下、Number609号へ)

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