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谷亮子の復帰をうらなう。 「柔の道」に生まれて。 

text by

城島充

城島充Mitsuru Jojima

PROFILE

posted2007/03/22 00:00

「彼女は苦しみさえも糧にして成長する」

 谷がまだ小学5年生だったころのエピソードを、稲田は鮮烈に記憶している。

 ある大会の前夜、「亮子が風邪で熱を出したので明日の試合は休ませてほしい」と母親から連絡があった。男の子を背負いでびゅんびゅん投げる女の子を先鋒に起用するつもりだった稲田は、メンバーを選びなおして本番に臨もうとしたが、翌日、試合会場には柔道着に身を包んだ亮子がいた。

 「お前、熱があるんじゃないのか」

 「昨日の夜、いっぱい服を着て汗をだしました。一晩かけて熱をさげたから大丈夫です」

 体重がまだ25kgほどしかなかった女の子は、気丈に師に訴えた。

 「正直いって身震いしましたよ」と、稲田はその場面を振り返る。

 「こんな小さな女の子のどこにそんなに強い勝負への執念が秘められているんだって。だから、私が何かを教えて谷がこんな選手になったという実感はないんです。あの子はもともとそういう子だったんです。注目されても天狗にならない。福岡国際で初優勝したときはまだ15歳ですよ。普通の子だったら、つぶされています」

 柔道界に彗星のごとく現れたヒロインはあっという間に、メディアの洪水にのみこまれた。だが、過熱する報道が「ヤワラちゃん」という虚像を作りあげたわけではない。「注目されることを、彼女は自分の力にしてしまった」と稲田が語るように、福岡の天才少女は群がったメディアの思惑を越える領域にまで自らを高めていったのだ。

 「彼女は目の前に降りかかった試練を含めてすべての経験を、柔道家として成長する糧にできるんです」と稲田は言う。

 「あの子は大会前に大きな怪我をしながら優勝したことが何度もあるでしょう。もし、一度でも出場を辞退していれば、今の谷亮子はなかった。苦しんでも、それで結果を出したから強い自信になる。勝ち続けることは、確かに辛いことかもしれない。でも、彼女にしか体験できない苦しみを一つひとつ乗り越えてきた自信が、彼女をさらに強くしていくんです」

 彼女にしか味わえない苦悩が、谷亮子を強くしてきた──。稲田の実感は、まったく違う距離感で谷を見てきた山口も共有している。

 「そこまで修羅場をくぐった人間はいないから、谷と畳の上で向き合った選手は蛇ににらまれたカエルみたいにびびってしまう。谷に負けた選手はみんな『待ってるのがわかる』と言う。負けてもいいからどうして思い切っていかないんだよ、って言われるけど、『技をかけていったら返される』って。待たれているのが空気で読める。だから行けない。『その空気を破れない』って言うんです」

 一人の柔道家が15年以上も頂点に立ち続けてきた女子48kg級の歴史を裏面からなぞると、敗者の無念が横たわっている。

 手元の取材ノートをめくると、「谷さんばかりを意識していると、自分の柔道ができなくなる」という北田の言葉があった。高校時代に一度勝利をもぎとった福見は「あの勝利で自分を見失った。地獄を見ました」と、思いを語ってくれた。

 だが、彼女たちに谷が背負い、乗り越えてきた苦しみは理解できない。

 負ければ楽になることはわかっているのに、負けられない。「お前の記録を破る奴なんてもう出てこないんだから、いつやめてもいいんだよ」。柔道界の先輩からそんな声をかけられても、作り笑いでやりすごすしかない。たとえ、周囲の声援がないと前を向けないような状況に追い込まれても、青畳の上に立てば、目の前の相手を倒すことに集中しなければならない……。

 「谷が引退を決意するときが来るとすれば、他の柔道家に負けるのではなく、自分自身に負けたときしかない」と、山口はいつかやってくるその瞬間を予想する。

 「自分の何に負けるかというと、肉体的な限界に負けるんです。谷が試合直前によく怪我をするのは、ふだんのモチベーションから直前にぐっと気持ちを上げられるからなんです。勝ちたいという執念が、ときに肉体を犠牲にしてしまう。でも、気持ちでひっぱっていけないほど肉体が傷ついたとき、彼女は自分の限界に気づくかもしれない。今回の復帰でいうと、本番の畳の上にあがったときに不安を感じないかどうか。子どもを出産した体が短期間の練習で思い通りに反応できるのか。彼女が不安を感じた時、相手をのみこんできた『空気』は破れると思う」

 谷亮子を「白鳥」にたとえる人もいる。

 水面に浮かぶ白鳥は、水中で足をばたばたさせている姿を見せない。谷亮子も『ヤワラちゃん』であり続けるための努力や苦労を絶対に人前では見せない──と。

 中学時代から谷を知る一人は「これはまったくの憶測だが……」と断ってからこんな考えを口にした。

 「子供を授ったことは女性として最高の幸せに違いない。でも、誤解を怖れずに言えば、谷はその喜びに浸ったとき、改めて自分を輝かせるのは柔道しかない、と思ったんじゃないか。かけがえのない存在を得たけれど、やはり自分自身がもっと輝きたい、とも。今の谷は、柔道を始めたころと同じような気持ちで畳の上に立てるかもしれません」

 取材依頼が殺到していたためか、全柔連は3月19日に谷の公開練習を行うことを決めた。おそらく、谷は〈ヤワラちゃん〉スマイルを浮かべながら揺るがない自信を口にするだろうが、すべての答えは本番の青畳の上で明らかになる。

 4月8日、福岡国際センターでわれわれは谷亮子の伝説が北京につながっていることを確信するのか、それとも……。

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