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斎藤雅樹「続投させてくれて感謝しています」 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

posted2005/04/28 23:13

 不滅の記録の第一歩なんて、こんなものかもしれない。

 「もう交代させてください……」

 斎藤雅樹は心の中で叫んでいた。

 1989年5月10日。横浜スタジアムの巨人対大洋戦の8回だった。5対1と4点のリード。しかし、無死満塁で打席に4番のカルロス・ポンセというピンチに、斎藤はさかんにベンチの監督・藤田元司を見た。

 「あのときは頭の中に、完投の“か”の字もなかった。とにかく勝ち星が欲しいというのが正直な気持ち。だからピンチになると、勝ち星が欲しくて弱気の虫が出てくる。自分より、リリーフの人に任せた方がいいという考えですね(笑)」

 だが藤田の心は全く違う。この投手を本当のエースとして一本立ちさせない限り、巨人の優勝はない― ――だから心は決まっていた。ベンチを出てゆっくりとマウンドに歩を進める。視線が交錯したとき、藤田の口からは斎藤の願っていたこととはまったく反対の言葉が飛びだしていた。

 「自分のケツは自分で拭け!」

 続投だった。

 「この年は開幕2戦目のヤクルト戦で先発したんですが、この先発自体が自分では“エッ”て感じでした。それまではオープン戦でいくら良くても、まあ、シーズンに入れば中継ぎに回される。自分では今年もそうだろうな、という気持ちだったので、正直、ビックリしていたんです。試合は巨人が勝つんですけど、僕は8回まで投げて3失点。勝ち負けはつかなかった。でも、先発しても失敗したら次はないと思っていたから、自分では“やった”って感じです。これで次も投げさせてもらえるという気持ちだけでした」

 藤田にお尻を叩かれてマウンドに残った斎藤だが、ポンセの中犠飛で3点差とされ、続く代打・片平晋作の中前タイムリー、味方の失策も重なって、あっという間に3点を失う。助けを求めるように斎藤は何度もベンチをうかがった。マウンドからのその視線に、しかし藤田はずっとそっぽを向きつづけた。

 実はこの日の先発は、わずか3日前の5月7日に決まったものだった。その日、敵地の広島戦に先発した斎藤は、2回ももたずに3失点してKOを食らっていた。

 「実は、僕は広島戦にトラウマがあったんです。王監督のときに先発してノックアウトされて、広島からファームにいかされたことがあった。広島で打たれるとそのことを思い出すんですよね。実際にあまり得意なチームでもなかったし……。そのトラウマをずっと引きずっていて、失敗したらダメ、これで打たれたらファームに落とされちゃうという気持ちがすごく強かった。

 この年は開幕から先発ローテーションに入って、確か3試合目(4月20日)の中日戦で完投して初白星を挙げると、その次の中日戦(30日)では完封もして、いい感じだった。そこで冷水を浴びせられるようにKOされたのが、また広島戦だったんです」

 バツの悪い気持ちで戻った宿舎のホテル。だが待っていたのは投手コーチの中村稔からの「10日の大洋戦に先発でいく」という宣告だった。中2日のスクランブル先発は、藤田の斎藤にかける思いの表れだった。絶対に逃げさせない。失敗をしても何度でも何度でも投げさせる。斎藤は投手として類まれな才能を持っていた。しかし、人一倍性格が良く、勝負になるとその人の良さから気の弱さが出てしまう。この天才投手に、失敗を恐れぬ気持ちを植えつけるには、こうして気持ちを追いたてていくことしかなかった。

 「斎藤が自信を持ったら凄い投手になる」

 藤田はそのことを見抜いていた。そのためには背中を押し続けなければならない。

 1点差のマウンド。苦しそうな視線を無視された斎藤は、腹をすえて打席の代打・加藤博一に立ち向かった。

(以下、Number626号へ)

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