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バレンタインと共に歩んだ
小宮山悟のプロ野球人生。
text by
![永谷脩](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byKYODO
posted2009/10/06 06:00
![バレンタインと共に歩んだ小宮山悟のプロ野球人生。<Number Web> photograph by KYODO](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/0/b/350/img_0b61c7cee5eef94c71a2089cb1b4f3d824554.jpg)
引退後の進路は未定としながらも野球の普及や、指導者の道を選択する可能性を示唆した
ロッテの小宮山悟が引退を決めた。44歳。プロ野球生活18年目の決断である。スポーツ選手にしては少々理屈っぽかったが筋を通す男であり、「自分はボビーに育てられ、ボビーに拾われた」と言ってはばからなかった。バレンタインが今季限りで監督を辞任することも、引退の要因になったのかもしれない。
1990年に早稲田大からドラフト1位でロッテに入団。同期には野茂英雄、佐々木主浩、潮崎哲也ら後の球界を背負う錚々たるメンバーが揃っていた。
早大入学も他のスポーツ選手とは異なり、2浪して一般入試合格という変り種。数学の教員免許を持ち、文武両道という言葉が良く似合う男だった。当時ゼミの担当教授で、現在はJ1の京都サンガ監督を務める加藤久は「スポーツ選手のあるべき姿」とよく褒めていたものだ。
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