オリンピックへの道BACK NUMBER
ひとりではなく、オールジャパンで!
スポーツ選手の支援と本当の「復興」。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakaomi Matsubara
posted2011/03/30 10:30
25日、11時30分~13時まで渋谷駅西口付近で募金活動を行なったALSOK所属のアスリートたち(写真左から伊調馨、塚田真希、吉田沙保里)。実家が青森県・八戸市で親族・知人も多い伊調は「今は自分にできることを精一杯やるしかない」と必死に募金を呼び掛けた
「僕は(私は)、何をすればいいんでしょうか」
そんな声を聞いた。
オリンピック種目の各大会の多くが中止となった3月。
大震災に、選手たちは何もしていないわけではない。プロでもなく、裕福ではない、いや、楽な経済状態にはなくても、自ら義援金を送り、仲間に呼びかけもした。援助物資を集め、窓口に持ち込む選手もいた。
例えば、為末大が震災の翌々日に、早くも寄付を募る活動を始め、クロスカントリースキーの恩田祐一もまた先頭に立って義援金を集めている。なかには、自ら街頭に立って募金活動をする選手まで。
3月25日、出身地である八戸市が大きな被害を受けたレスリングの伊調馨らが、渋谷で活動を行なった。そんな活動をしている彼女らでさえ、「もっと何かをしたい……しなければならないんじゃないか」「でもどうしたらよいのか?」と悩まずにいられない様子だった。信じられないような震災の悲惨さに対しなんとか手を差し伸べたいという思いと、決して中断するわけにはいかない日々の競技への取り組み。その狭間で煩悶する選手たちの、心の声が聞こえるようだった。
その言葉を聞いたとき、ふと思い出したことがあった。
14年前のことだ。
阪神・淡路大震災では復興の流れに乗り遅れた老人たちがいた。
1995年に起きた阪神・淡路大震災の2年後、神戸を訪ねた。
取材で、須磨や長田を歩き、仮設住宅を訪ねては暮らす人々の話を聞いて歩いた。
その時受けた印象は、「神戸港の復興」「企業の立ち直り」というような当時の明るいニュースの印象とずいぶん違うものだった。
たしかに綺麗に復興を果たしたかのように、建てて間もないようなきれいなマンションが多く立ち並んでいた。ところが、そのすぐ隣には平屋のプレハブ、一棟あたり十数部屋が連なる仮設住宅が何十と並んでいたのだ。
それは、あまりにも対照的な光景だった。
仮設住宅に暮らすのは、多くは高齢者、しかもひとり身の人が多かった。うかがった人々の話には、不安がにじみ出ていた。
生活が立ち行かないのではないかという心配は、もちろんあった。仮設住宅は早くなくしたいという声も世間では起きていた頃だ。支援はいつまでなされるのか、仮設住宅から出られる日は来ても、その先はどうなるのかを案じていた。