2008年11月2日、府中の大舞台で最強牝馬2頭が鬼気迫る激闘を演じた。直線、1頭が渾身の末脚を繰り出せば、もう1頭は驚異の粘りを披露する。走破時計はレコード、ハナ差の勝敗が決したのは13分の長い写真判定の後だった。
この歴史的名勝負に隠されたドラマを、両陣営の騎手、調教師、厩務員、計6人の証言をもとに、細密に描く。
この歴史的名勝負に隠されたドラマを、両陣営の騎手、調教師、厩務員、計6人の証言をもとに、細密に描く。
午前4時、東京競馬場の出張馬房脇の部屋で眠っていたダイワスカーレットの担当厩務員、斉藤正敏は、ゴソゴソという物音で目を覚ました。土間のほうを見ると、スカーレットを管理する調教師、松田国英が上がり框(かまち)に腰を下ろしている。
「寝ていられなくてね」
予定より1時間も早く来た松田は、そう言って苦笑した。
2008年11月2日、第138回天皇賞・秋当日。競馬史に残る名勝負が決着する12時間ほど前のことだった。
松田調教師はウォッカ陣営に陽動戦術を仕掛けた。
――相手はウオッカただ一頭。
松田はそう思っていた。
ウオッカとダイワスカーレット。激闘を繰り返してきた両馬の直接対決は、スカーレットが3勝1敗とリードしていた。が、馬券上の人気も、年間合同フリーハンデなどの評価も、ダービーを勝ったウオッカがつねにスカーレットを上回っていた。
それでも松田は、「スカーレットのほうが強い」と公言してきた。
「ウオッカのほうが強いと思うと、その後ろでも満足してしまうものです。ですから、うちのスタッフには、『ウオッカはスカーレットの2馬身ぐらい後ろにいる』といつも言っていました。マスコミにもそうコメントして、ウオッカ陣営にプレッシャーをかけたんです。馬ではなく、人を壊そう、と」
前がかりのスカーレットに斉藤厩務員は不安を覚えた。
春の大阪杯を勝ったあと、左前脚の管骨瘤のため放牧に出ていたスカーレットは、9月5日、栗東・松田国英厩舎に帰厩した。当時の馬体重は、ベストより約50kgも重い550kgほど。帰厩当初、松田は11月16日のエリザベス女王杯で復帰させるプランを描いていた。
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photograph by Yuji Takahashi