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【F1】角田裕毅はいかに“問題児”から脱却したのか…スタッフが証言する精神面の成長「これからもユウキの前には壁が現れるだろう。でも…」

デビュー戦の9位など5度の入賞を果たした'21年。最終戦アブダビGPでは最終周にメルセデスのバルテリ・ボッタスをかわし4位に入った
2021年、角田は日本人歴代最年少の20歳でF1デビューを果たす。幼かった少年は周りのスタッフやチームメートから貴重な学びを得ながら、徐々にプロとしての振る舞いを身につけていく。ともに戦い、支えてきた人々が、大人のレーサーへと変化していく姿を述懐した。(原題:[ルーツを探る(3)F1デビュー]チームスタッフが語る「“問題児”からの脱却」)

「それまでは少し少年っぽさが残っていたけど、あのときはもう成熟した大人になっていた」

 今年の1月下旬、オーストリアのチロル州にある町、キッツビュールで開催されたアルペンスキー・ワールドカップ大会の一つであるハーネンカムレースに、レーシング・ブルズ(RB)のピーター・バイエルCEOは角田裕毅とともにゲストとして招待された。

“あの発表”の後、初めて角田に会ったバイエルは、冒頭のように感じたという。

 発表とは2024年12月19日にレッドブルが行った翌年のドライバーラインナップだった。'24年のシーズンが終了した直後、マックス・フェルスタッペンのチームメートとして、だれがレッドブルのシートに収まるのかが注目された。同年までフェルスタッペンのチームメートだったセルジオ・ペレスはシーズン後半戦に精彩を欠いていたからだ。代わって候補に挙げられていたのが、レッドブルの姉妹チームであるレーシング・ブルズの角田とリアム・ローソンだった。ドライバーとしての実績では角田が上回っていたが、レッドブルが選んだのは、角田ではなく、ローソンだった。

'23年にアルファタウリのCEOに就任したバイエル Mamoru Atsuta
'23年にアルファタウリのCEOに就任したバイエル Mamoru Atsuta

 キッツビュールへ向かう途中、バイエルは角田のことを案じていた。

「何かあれば、アドバイスをしようと考えながらキッツビュールへ向かったが、会ってすぐにその必要はないと悟った。またひとつ困難を乗り越え、成熟していたからだ」

角田の“欲”が招いた無謀なチャレンジとは?

 今年で5年目を迎える角田のF1人生は、決して順風満帆ではなかった。角田にとってF1ドライバーとしての最初のつまずきは'21年4月、アルファタウリでのデビュー2戦目となるエミリア・ロマーニャGPだった。予選最初のアタックで、それまで試したことがないほどまでブレーキを遅らせ、クラッシュ。チームメートのピエール・ガスリーを上回ろうという“欲”が招いた無謀なチャレンジだった。

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photograph by Mamoru Atsuta

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