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【F1】角田裕毅はいかに“問題児”から脱却したのか…スタッフが証言する精神面の成長「これからもユウキの前には壁が現れるだろう。でも…」

「それまでは少し少年っぽさが残っていたけど、あのときはもう成熟した大人になっていた」
今年の1月下旬、オーストリアのチロル州にある町、キッツビュールで開催されたアルペンスキー・ワールドカップ大会の一つであるハーネンカムレースに、レーシング・ブルズ(RB)のピーター・バイエルCEOは角田裕毅とともにゲストとして招待された。
“あの発表”の後、初めて角田に会ったバイエルは、冒頭のように感じたという。
発表とは2024年12月19日にレッドブルが行った翌年のドライバーラインナップだった。'24年のシーズンが終了した直後、マックス・フェルスタッペンのチームメートとして、だれがレッドブルのシートに収まるのかが注目された。同年までフェルスタッペンのチームメートだったセルジオ・ペレスはシーズン後半戦に精彩を欠いていたからだ。代わって候補に挙げられていたのが、レッドブルの姉妹チームであるレーシング・ブルズの角田とリアム・ローソンだった。ドライバーとしての実績では角田が上回っていたが、レッドブルが選んだのは、角田ではなく、ローソンだった。

キッツビュールへ向かう途中、バイエルは角田のことを案じていた。
「何かあれば、アドバイスをしようと考えながらキッツビュールへ向かったが、会ってすぐにその必要はないと悟った。またひとつ困難を乗り越え、成熟していたからだ」
角田の“欲”が招いた無謀なチャレンジとは?
今年で5年目を迎える角田のF1人生は、決して順風満帆ではなかった。角田にとってF1ドライバーとしての最初のつまずきは'21年4月、アルファタウリでのデビュー2戦目となるエミリア・ロマーニャGPだった。予選最初のアタックで、それまで試したことがないほどまでブレーキを遅らせ、クラッシュ。チームメートのピエール・ガスリーを上回ろうという“欲”が招いた無謀なチャレンジだった。
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