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「ジムを引き揚げて、ここを売れ!」1億円の借金、ねじ会社を担保…中谷潤人を支えたM・Tジム会長が明かす“苦闘の歴史”「嫌だ。絶対に返すから」「世界チャンピオンを…」

2025/09/27
M・Tジムの村野健会長
世界チャンピオンを育てよう――。決して大きいとは言えないねじ会社の社長はある日、そう心に決めた。それから四半世紀あまり、プロ経験のない男はそれでも夢を果たし、憧れの先輩との大一番に臨む。(原題:[ビッグバンを支える会長の秘史]雑草に宿る柔らかな信念)

 あの時はまだピンと来ていなかった。

 2024年5月19日、M・Tジム会長の村野健は、神奈川県内にあるボクシングジムの親睦会「拳志会」に参加した。そこで大橋ジム会長の大橋秀行から耳打ちされる。

「次の東京ドーム、中谷君とやるからね」

「中谷君」が愛弟子の中谷潤人のことで、主語はなかったものの、それが井上尚弥との闘いであることは間違いなかった。

 東京ドームでの井上―ルイス・ネリ戦からまだ2週間も経っていない。しかも中谷は井上の1階級下でWBC世界バンタム級王座を獲得したばかりだった。

 あれから1年4カ月が過ぎた。M・Tジムの事務所でインタビューを受ける村野の歯切れが悪い。

「なんか、すごく複雑な心境というかね。大橋さんとの関係がね、ああ、そうなるのかと。憧れの先輩ですから。そういう凄い人と、やるのか、っていうね」

 ビッグマッチの打診を受けた会長の反応としては意外なものかもしれない。しかし、その言葉の裏には村野が歩んできた歴史があった。

別格のオーラをまとっていた横浜高の大橋秀行

 村野は神奈川・武相高でボクシングを始めた。父が笹崎ジムの元プロボクサーで、白井義男とスパーリングをこなすほどの猛者だったことも影響していた。部員が使い回しのマウスピースを口に入れ、スパーリングに励むような昭和の部活だった。練習は厳しかったが、歯が立たなかった先輩にどんどん近づいていく。それが楽しい。

 1982年、高校2年になる春だった。神奈川代表と栃木代表の対抗戦が行われ、合宿先で先輩から1学年上のスター選手を紹介された。高校2年時にインターハイを制した、横浜高の大橋が目の前にいる。すでに別格のオーラをまとっていた。

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photograph by Nanae Suzuki

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