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「2回転しか跳べていなくて、結構ボロボロで……」山本草太が山田満知子コーチらの反対を振り切って木下グループ杯に強行出場した理由「自分に対して逃げたくなかった」

 ジュニア時代から将来を嘱望されてきた山本草太のフィギュアスケート人生は、度重なる怪我との戦いでもあった。「本当に強くなりたい」と山田満知子コーチのもとで着実に本来の才能を磨き、満を持して迎えた3度目の五輪シーズン。だが、国際大会初戦の直前、またもや怪我に見舞われてしまう。周囲が反対する中、大会出場を決断した山本の想いとは――。
 数々のスケーターを長年取材し、選手からの信頼も厚いライター野口美恵さんが現地取材をもとに綴るオリジナルコラムをお届けします。

 「棄権することで、自分に対して逃げたくなかったというのが大きいです。怪我をするまではちゃんと練習を積めていたので。棄権することを、次の試合への調整とは思えなかったんです……」

 一言ひとこと、言葉を探しながら繋いでいく。今季の国際大会初戦となったチャレンジャーシリーズ木下グループ杯(9月5-7日、大阪)で、試合約1週間前に腰の怪我をした山本草太(25)は、4位で演技を終えた。山田満知子コーチをはじめ周囲が反対するなかでの、強行出場。そこには、3度目の五輪シーズンにかける彼の信念がみなぎっていた。

2度の骨折、3度の手術を乗り越えて再スタート

 山本のスケート人生は、怪我に大きく左右されてきた。15歳で4回転を成功し順風満帆だったジュニア時代、2016年世界ジュニア選手権の出発直前に右足首を骨折。それからは怪我との戦いの日々へと一転した。2度の骨折と3度の手術を乗り越えると、18年12月の全日本選手権で、3年ぶりに4回転トウループを成功。少しずつ実力を取り戻し、北京五輪シーズンに山田満知子の門下で、再スタートを切った。

「平昌五輪は怪我から復帰したばかりでしたし、北京五輪シーズンはまだトップとの差をすごく感じていました。でも北京五輪シーズンに『本当に強くなりたい』と思ったことで、その翌年から自分が変わることができました」

 山本はそう振り返る。

Asami Enomoto
Asami Enomoto

 そこからの山本は、ジュニア時代から期待されていた才能を開花させた。22年グランプリファイナルでは銀メダルを獲得し、世界の表彰台に。23年全日本選手権では3位の表彰台に乗った。さらなる高みを目指した昨季は、4回転フリップに着手したことで成績こそついてこなかったものの、飛躍のために必要な準備期間になった。

 満を持して迎えた今季、その国際大会初戦となる木下グループ杯は、五輪シーズンの幕開けとも言える一戦だった。しかし、試合の約1週間前、4回転フリップの練習中に右腰を痛め、右肩も亜脱臼。公式練習に現れた山本の調子は、明らかにおかしかった。

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photograph by Asami Enomoto

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